イングランドサイクリング

イングランドサイクリング 詳細
1995年9月23日 土曜日 愛車Alex Moultonの生まれ故郷であるBOAを訪問


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走行ルート
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Bristol国際YHBathTollBradford on AvonSt. Margaret's HallB&BThe Hall(Alex Moulton社)St. Margaret's HallB&B
天候
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晴れ
宿泊先
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B&B(Bed & Brekfast)
走行データ
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走行距離:35km
支払い
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St. Margaret's Hallの出店にて
GBステム(西川氏立て替え)UK£6.75
前後ガードステイ片側(西川氏立て替え)UK£0.75
パブにて昼食(2人分)UK£14.00
夕食(記念パーティー)にて
参加費2人分(事前に支払い済み)UK£30.00
ラガービールUK£1.60
宿泊費B&B(西川氏立て替え)UK£35.00
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Bristol国際YH 09:20発
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Bristolの教会s5tr
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Bristolの教会

干してある洗濯物の一部を取りに地下に向かう。途中エレベーターに乗り込んできたのは、昨日ランドリーで話しをしたおばさんとその旦那と思える人。またこの旦那さんどこかで見たことのある髭面だ。ますます想像がふくらむ。

朝寝坊のルームメイトを起こさないように廊下で荷作りをし、荷物を持って朝食へ向かう。みんなチケットを出しているが、私は朝食のチケットをもらっていない。昨晩の受け付け嬢は小銭の件といいあまりできが良くないようだ。朝の受け付けの男性に朝食のチケットをもらっていないことを告げると、ちょっと調べて愛想良く手渡してくれた。

食事をしていると子供が2人騒ぎまわっている。例の夫婦は子供2人と家族できているようだ。こちらのYHではあまり見かけないタイプだ。例によってイングリッシュ・ブレックファストを食べていると、その旦那さんが声をかけてきた。私のモールトン純正リアバッグを見たらしく、B-O-Aのイベントに参加するのか?オレもだよと言っている。驚いた。私の勘は当たっていたのだ。デジャブなんかではない。彼はカナダのバンクーバーから家族で来たモールトニアだそうで、これから車でB-O- Aへ向かうそうだ。私がどこかで拝見したことがある気がするというと、会報モールトニアの何月号かに載った写真かな?と言う話しだ。B-O-Aで再会することを誓い握手して分かれる。

食事を終え、1階で出発の準備をしていると、彼がモールトンを抱えて登場。どこに保管してあったのだろうか。地下の車庫にはモールトンは私の1台しかなかったが。

Bath 10:20着
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ブリストルでは教会の写真だけ撮り、B-O-Aへ向けて先を急ぐ。ここからB-O-Aへの間には日本で言えば奈良のような歴史観光都市バースを通る。車が多く、排気ガスの中を主要道 A4号線を快走する。

バースはかなり大きな観光都市なので、ここでトラベラーズチェックの現金化や地図の入手を行いたかったが、時間がない。11:00までにB-O-Aで西川さんと会うことになっているのであせる。バースの町に入ったが、すでに10時20分。町の中心部には行かず、そのまま主要道A4号線をロンドンの方角に向かい、途中トールというところで右に折れてB-O-Aへの道に入ることにする。ちょっと腰を休めるため小休止しすぐにスタートする。かなり腰に負担がかかっているようだ。

Toll 10:50着
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現地で初めてみるBOAの地名s5tr
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現地で初めてみるBOAの地名

工事中やら細い道やら多くとても走りにくい。トールに着いたのがすでに10:50分。これだと11時までにB-O-Aに着くのはまず無理だ。ロータリーになっている交差点に近づくと「Bradford on Avon」の文字が目に入った。この地の名前を現地英国に来てはじめて確認する。モールトンのヘッドマークに書かれたこの地は本当に存在していたのだ。

ここからは森の中の道を快適に走る。主要道A4号線と分かれたこともあり、車は少なく走りやすくなった。ウィルトシャー州に入りしめしめと思っていたのもつかの間、行けども行けどもだらだら登っている。あのコーナーを曲がったら下りに違いないと思い、頑張って行くとまだ登りだ。こんな事を何度か繰り返す。バースからB-O-Aまではいくつかのルートが考えられるが、なるべく迷うことのない道を選んだつもりだ。日本から持参した地図はあまり細かくなく、標高差などは少ししか読みとれない。判断を誤ったなと思いながら走っていると、愛読している自転車雑誌の一つ、ニューサイクリング誌に出ていた記事を思い出した。バースからブラッドフォードまで運河沿いにサイクリングロードが続いていると書いて有ったはずだ。何故もっと早くこのことを思い出さなかったのか。

森を抜けると、見晴らしのいい丘に出た。ここからは前方に登りはなさそうだ。ここまできてやっと「Bradford on Avon」の文字がちらほら見られるようになった。やっと目的地に到達したようだ。

Bradford on Avon 11:35着
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花で飾られたBOAの美しい町並みs5tr
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花で飾られたBOAの美しい町並み

いきなり急な下りが始まったと思ったら、建物が多くなってきた。B-O-Aはこんなに大きな町だったのかと驚いた。町中の細かい道は地図でも良くわからない。成り行きに任せて下りきったところに橋があり、それを通過したとたんに私を呼ぶ西川さんの声。感動の再会。待ち合わせの場所であるツーリストインフォメーションの前に着いたのはすでに11時半を過ぎていた。

St. Margaret's Hall 12:10着
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西川さんとツーリストインフォメーションでB&B(ベッド・アンド・ブレックファストと呼ばれる朝食付きの民宿)を予約した後、セントマーガレット通りを挟んで反対側にあるセントマーガレットホールという公民館のような建物に向かう。時間はすでに12時を越えている。

建物の前の駐車場にはいるといきなりモールトンが走っている。ふと見るとモールトンを積んだたくさんの車が止まっている。建物のすぐ周囲には沢山の人が集まって、自慢のモールトンを見せあっている。オールドタイプのモールトンが沢山ある。モデルはよくわからないが、様々な色のモールトンがある。どれを見ても特別なパーツが付けられたり、フレームに特殊工作が施されている。

自分のモールトンを引きずりながら様々なモールトンを見てうろうろしていたが、きりがないので、奥の方にモールトンを置き建物に入ることにする。建物の入り口でブリストルの YHであったカナダ人夫妻を発見。再会の挨拶を交わす。

イベントの最初の企画としてこの会場を借りてモールトンに関連する商品の販売が行われている。会場には誰でも入ることができ、販売する側はいくらかを払って場所を確保しているようだ。まず入って左側にオリジナルのタイヤやホイールを売っていて、熱心に説明してくれる。

十ほどの店はみな商品を床に広げたり段ボール箱に入れて並べている。奥の方に行くと古いタイプのバッグのレプリカが並んでいたり、オールドタイプのモールトンのジャンク部品が並んでいる。あれだけ大切にオールドタイプに乗る人がいるのだから、今では純正としてはもちろん作っていないこれらのアイテムは貴重な物なのだろう。

先へ進むと机の上で本を並べているのが見える。本を売っている人こそモールトンの研究で有名なトニー・ハドランド氏だ。彼は最近、現在のAMシリーズのスペースフレームに関して解説した赤い本や、話しには聞いていたスターメーアーチャーの歴史をつづった本を売っている。西川さんは著者本人から双方の本を受け取り代金を払う。もちろんサイン入りである。

小物を沢山並べているところで、ガードステイを1台分購入する。西川さんとスペアパーツとして山分けするのだ。何かのあまり物なのだろうか、中古には見えないが、合わせて日本円で300円しなかったようだ。私の前のガードステイはすでにフォークエンドに止めるための小さなナットが振動で外れてしまっている。

あれよあれよと言う間に一通り巡ってみたが、予想していなかった雰囲気に完全に飲まれている。完全に舞い上がって冷静な判断ができない。疲れてもいるのでとにかく先程予約したB&Bにいったん落ちつくべく2人は会場を後にした。

B&B 13:20着 13:50発
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分かれ道を間違えて、ケント・エイボン運河沿いまで来てしまった。運河沿いのサイクリングロードを楽しむためのサイクルハイヤー(貸し自転車)の店があり、変わり種自転車を楽しむ家族連れの姿があった。きた道を少し戻り、町の中心部から数分のところにあるB&Bに到着。部屋はともかく、トイレ兼バスルームは広くて豪華である。荷物を置いてほっと一息し、腰痛のための湿布を忘れずに交換する。

B-O-Aの町の中心部に戻り食事ができる店を探す。道すがらモールトンに乗った人と何度もすれ違う。手をあげて軽く挨拶をする。他のモールトニアもみな食事とっているらしく、どの店の前にもモールトンが駐車してある。

昼食(PUB) 14:00着
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街角のあちこちにAMが駐輪してあるs5tr
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街角のあちこちにAMが駐輪してある

我々はエイボン川を渡りイベント会場となっているアレックス・モールトン・バイシクル社に向かう途中のパブに入る。西川さんと再会を祝しビールで乾杯をしてボリュームのあるランチを食べる。食事を終えてパブを出ると店の前に新たに2台のモールトンがあった。

The Hall(Alex Moulton社) 14:50着 19:00発
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Dr. Moultonの居城の通用門

地図に従いモールトン社を目指す。ちょっとした登り道の途中から深い緑の木々を囲うような長く続く塀が道の右手に見えてきた。ちょっと行くと門があり「Private」と書いてある。この入り口はモールトン博士の居城ザ・ホールの敷地の入り口に違いない。残念ながら門の中も木々が多く城を見ることはできない。西川さんと写真を撮り合う。

150m程先に別の入り口が見えた。案内の地図によるとモールトン社の出入口が受け付けのようだ。受け付けの小さなテーブルがありボランティアの人が2人いた。3cm×5cmほどの大きさの名札を手渡されるので名前を書き入れ胸に付ける。車できた人は駐車の予約カードを見せて受け付けの人に駐車する場所を指示してもらっている。

昔使っていた工場(現在は他社に貸しているらしい)と壁の間の通路を通下って行くと何やら人だかりがしている。現在の工場の前の広場がイベント会場となっているようで、みな自分のモールトンを見せ合い情報交換をしている。ザ・ホールに続くアーチの入り口付近にはMBC(モールトン・バイシクル・クラブ)の受け付けがあり、どこかで見たことのある顔の小柄なおじさんがいる。そう、彼はクラブで会員管理などを担当しているマイク・ヘッセイ氏である。私は彼をインターネットで知り、彼の顔写真もMBC(モールトン・バイシクル・クラブ) のページからリンクされる彼個人の情報ページで拝見していた。今回のイベントに参加するに当たって、いろいろアドバイスをしてくれた人でもある。私がつたない英語で挨拶をすると、「いつもテレコミュニケーションをしている人だね。」と言うような返事が返ってきた。会えて嬉しい思いを英語でうまく伝えられないのが残念だった。

西川さんがこの機会にクラブへの入会手続きをおこなう。私はクラブ誌であるモールトニアの最新号を受け取り、発送用に用意されていた自分宛のアドレスの入ったタックシールを破棄してもう。これで重複送付は無くなり、少しでもクラブの経費が節約される。会員番号を忘れていたので、マイクさんの全会員データを管理しているポケットコンピュータのデータベースで捜してもらう。ちらっと見ると会員番号1番はモールトン博士その人であった。MBCの会長さんと西川さんが話している。会長さん曰く「海外の会員も大歓迎なのだが、会費などの送金が面倒なので入会するのに手間がかかっているようだ。クラブではなんとかクレジットカードなどを使用できないかと思っている。」とのことで、「国別に支部を作ってまとめて会員の処理をするこはできないだろうか。」とも言っていたようだ。

【イベント】ムービング・ミュージアム
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ジャーナリストTony Hadland氏と博士の解説s5tr
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ジャーナリストTony Hadland氏と博士の解説
一台づつ広場を廻ってお披露目されるs5tr
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一台づつ広場を廻ってお披露目される
Moving Museumの自転車たちがせいぞろいs5tr
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Moving Museumの自転車たちがせいぞろい

アナウンスがあるが例によってなんて言っているのかわからない。なにやら始まるようで、拍手の中、モールトン博士とトニー・ハドランド氏が現れ工場の入り口前の椅子に座る。参加している人々はイベント会場を囲むように地面に座ったり立ったりしている。ザ・ホールに続く道にあるアーチの下に十数人の人がモールトンと共に待機している。合図と共に一人づつモールトンに乗って出てきて会場を2週ほどする。そして博士らの前に止まる。まずハドランド氏の解説があり、その後、博士のコメントがある。どうやらムービング・ミュージアムというイベントが始まったようだ。

このムービング・ミュージアムというイベント、皆に見せているモールトンはどれも入り口近くにある納屋のような貧弱な建物の博物館から引っぱり出してきた物で、古い物となるとかなり貴重な物のはずだ。こんなものを平気で乗り回して皆に見せてくれるなんて、驚くばかりである。完全に動態保存をしているようで、実用性の高い自転車をつねに追求する博士の思想を表している事実であった。

最後の方には「アメリカ人」というようなかけ声と共に星条旗をあしらったレーサージャージを着た長身の人がAM- SPEEDという最高級レーサーモデルに乗って現れた。彼は合衆国でHPV(Human Powerd Vehicles)のレースのためにモールトンをベースに使った自転車を設計しているダグ・ミリカン氏のようだ。博士は革サドルを話題にしているようで、なにやらどこかのメーカーの試作品を試しているそうだ。一般の人には過去の遺物に見えるかもしれない革製のサドルであるが、サイクリストにはまだまだ人気がある。これを先端的な意味で取り上げているとはさすがモールトン博士である。

最後に新製品であるLAND LOVER APBというモデルが登場。 2台が反対向きに会場を何度も駆け回る。しきりにギアチェンジを行いたくさんのギアを持っていることをアピールしている。インターネットでギアは3×7だと話しには聞いていたが、3段が後ハブの内装であるとは知らなかった。私はてっきりフロント3段だとばかり思っていたが、もちろんフロントディレーラーは存在していなかった。

西川さんは博士の正面に陣取って聞き入っているが、残念ながら私は話しの方はほとんどわからないので、写真を撮ることに専念する。それから参加しているみんなの表情を見たり、会場の外周に出て遠くから眺めたり、周囲のモールトンをカメラに納めたりしていた。

イベント会場のすぐ隣には低い壁を隔てて一段低くなったところに一面芝生の庭があり、参加者の何人かがテントを張っている。イベントのため事前に申請しておけば今晩のみキャンプを許されている。博士の粋なはからいで私邸の庭を開放してくれているようだ。ブリストルのYHで会ったカナダから来た家族などは、おとうさんがイベントに夢中の間、庭を駈け回って遊んでいる。

【イベント】フォールディング・コンテスト??
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キャンピンググラウンドとして提供されている庭の奥に博士の居城The Hallが見えるs5tr
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キャンピンググラウンドとして提供されている庭の奥に博士の居城The Hallが見える
AM社工場壁に埋め込まれたTom Simpsonのレリーフs5tr
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AM社工場壁に埋め込まれたTom Simpsonのレリーフ
Alex Moulton Bicycles社の入り口s5tr
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Alex Moulton Bicycles社の入り口

ムービング・ミュージアムが終わり、ダグ・ミリカン氏の所へ行く。彼ともインターネットを通じて何度かメールをやりとりしていて、最初はそんな有名人だとは知らなかったが、どこかで見たことのある名前なので気が付いた。彼の設計した Liner号はモールトンに空気抵抗を減らすためのフルカウリングをかぶせたもので、そのフルカウリングに設計者である彼の名前が書かれていたのを思い出したのだ。言葉の問題があるため、例によって彼と歯がゆい出会いの挨拶を交わす。

次のイベントが始まった。今度は2台のモールトン(AM2 か?)を使ってフレーム分割のスピードを競うコンテストのようだ。担当者が時間を計り、名乗り出た2人が競うのだ。私も西川さんに背中を押されて挑戦した。前後のフレームを跨ぐワイヤーは存在しないモデルなので、下のアームのロックとパイプの集合部分のハンドルを回してコラムを抜くだけだ。タイムは6秒台だったと思う。あまり人気がないのか、参加者20人ほどで観衆20人に満たなかった。

モールトン社の敷地内でのイベントが終わり、工場の建物の壁にはめ込まれている有名なプレート(モールトンに乗った人の像)の前で記念写真を撮る。後で聞いたのだが、このプレートはツール・ド・フランスのレース中にバントゥ山で死んだイギリス人トミー・シンプソンを祈念して作られた物で、彼はモールトニアだったそうだ。もちろんツールにはレギュレーションの関係でモールトンでの参加はできなかったそうだが。

昼に店が出た会場セントマーガレッツホールで19時半から行われるディナーまで時間があるので、一度B&Bに戻って出直そうということになった。

出際にモールトン社の出口付近にある鳥小屋のような博物館を見つけてのぞき込む。ムービングで使われた歴代モールトンやフレームの試作品が並んでいる。窓が広いので外から中の展示品をよく見ることができる。西川さんと2人張り付いて覗いたり写真を撮ったりする。

時計を見るともう19時。もうB&Bまで戻っている時間はないので、私だけ忘れ物を取りにB&Bに戻り、すぐにセントマーガレッツホールに向かうことにする。

St. Margaret's Hall 19:20着 23:10発
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記念パーティーのテーブルs5tr
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記念パーティーのテーブル

セントマーガレッツホールに着くともう開場10分前だ。会場の前には例によってモールトンが沢山止めてある。もう日没が近く薄暗くなるというのに、あいかわらずモールトン談義が始まる。私のモールトンの隣にはSafariというオールドタイプが止められており、そのオーナーと開場を待ちながら話しをする。

やっと開場されるようで、入り口付近に人だかりができる。西川さんと並んでいると、ダイナベクターの人か?と声がかかる。後で聴いたのだが、この人はモールトン博士の後継者である甥の息子のショーン・モールトン氏だったらしい。イベントに参加する日本人は珍しいので日本の代理店の人かと思ったらしい。

中に入り受付の人にチケットを見せる。我々のチケットはピンク色だが、緑色のチケットを持っている人もいる。ベジタリアンの人は緑色のチケットのようだ。会場には10人掛けのテーブルが両サイドに5づつ、約100人分の席があり、西川さんと私は右側の前から2つめのテーブルに座った。

すでにワインなどを飲んでいる人がいる。飲み物はどうするのかなと思っていたら、こういう場合は好みの物を別途購入するらしく、西川さんにつれられホールの隣の部屋のバーカウンターに行く。ドアを通るとパブにあるようなしっかりしたカウンターがあり驚いた。こういったホールにはこのような設備が当たり前のように設置され、イベントの際には依頼された業者が運営してくれるようだ。列に並んでいると後ろの人から先日電話をくれたのはあなた達かと聞いてきた。彼はモールトンのレプリカバッグを作っている人で、それは矢野さんではないかと尋ねると、名前は今覚えていないが日本の人だと言っていた。西川さんと顔を見合わせてうなずく。西川さんは例によってビターを、私は腰痛のため一瞬躊躇したがラガービールを1 パイント購入し席に戻る。

特に何もアナウンスがないままスープとパンが配られディナーが始まる。ちょっとした間の後、チケットの色を頼りにメインディッシュが配られる。料理は鳥肉料理だ。それと別皿に盛られたブロッコリーやニンジンなどの煮野菜を好きなだけ取る。なにやら素性のしれないピクルスのような物もあった。

私の正面に座っている人はムービング・ミュージアムで最初に登場(モールトン博士が昔乗っていたスポーツサイクルを乗って)したおじさんだ。お孫さんだろうか少年が隣に座っている。周囲の人と何やら話しをしながらずいぶん時間が経った後デザートとコーヒー・紅茶が配られた。時間が空いたので、日本から持ってきた土産(和紙仕立ての6角形の小箱)を組み立てて少年にプレゼントしたりして時間を過ごす。

MBCの会長さんが前に出て挨拶が始まる。クラブの1年間の経過などを報告しているようだ。続いてモールトン博士の挨拶。今回のイベントの幹事であるレイチェル・ガルシアさんへの謝辞や日本から来たわれわれ2人も含む遠方からの参加者の紹介などが行われる。日本以外からは北米やヨーロッパ各国はもちろんのこと、遠くはニュージーランドから参加しいる人もいた。

【イベント】1988年北米大陸横断レースのスライド上映
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1988年の北米大陸横断レースのスライド上映s5tr
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1988年の北米大陸横断レースのスライド上映
クラブから博士への75歳の誕生日プレゼントs5tr
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クラブから博士への75歳の誕生日プレゼント

場内が暗くなり、1988年北米大陸横断レースの時のスライドが始まる。解説者はもちろんAM SPEEDで参加して8位に輝いたレーサー、デーブ・ボーガン氏である。約5千kmを10日と1 5時間で走り抜いた栄光の記録である。今回参加しているダグ・ミリカン氏もその時のスタッフとして参加しており、スライドにもちょくちょく顔を出していた。一通りの解説の後、そのダグ・ミリカン氏も前に出て解説を加えた。

4月9日、MBCから75歳のお祝いに博士にプレゼントされた17インチホイールがディナーの参加者に回覧されている。このホイールは中央にハブの代わりにメッセージ(ALEX : For your 75th birthday from your friends at the Moulton Bicycle Club)の入ったステンレス盤がスポークで張られている。MBCの会誌(the Moulton Flyer Issue 7)やインターネットで写真は見ていたが、本物に触れることができるとは思ってもいなかった。抱えているところを西川さんに写真を撮ってもらう。

あれよあれよと言う間にディナーも終わり、明日は一緒に走ろうなと声を掛け合い会はお開きになる。後ろのテーブルに座っているモールトン博士に例によってサインをねだりに行く。サインをしてもらっているのは私ぐらいだが旅の恥はかき捨てである。昨年の秋に八ヶ岳の原村で博士を招いて行われたイベントの時の写真を見てもらって、私や知人が博士と共に写っている写真にサインをしてもらう。

ダグ・ミリカン氏には彼の設計したLiner号の写真(自転車文化センターでの展示会でJMBC会長の坂田さん撮影)にサインをもらい、名刺をいただく。インターネットのアドレスから見て彼はてっきりニューヨークのバッファロー大学に勤めているのだと思っていたが、名刺を見ると違うようだ。合衆国では近くの公共機関を利用してインターネット接続ができるのが当たり前。公共機関に勤めているのかと我々に聞くので普通の企業だと答えた。西川さんも秘蔵?のインターネットアドレスを公開。3人とも個人負担無く使えるので便利だなとうなずきあった。

最後に母親が日本人で日本語がとても上手なナオミさんと写真を撮り、今回の幹事でナオミさんの友人でもあるレイチェル・ガルシアさんに挨拶する。今回のイベントの開催のお礼と彼女へのディナーの会費送付の時に女性とは知らずにMr.と記してしまったことを詫びる。会場の外へ出るともう23時を過ぎていた。

B&B 23:20着
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興奮状態でB&Bに戻る。腰と旅の日程のことを考え参加しようかどうしようか迷っていた明日のサイクリングであったが、心の中では明日みんなと走りたい気持ちで一杯になってしまった。きっと西川さんも昼に見つけた貸し自転車店でAPBを借りて参加するに違いない。

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