トランスカナダハイウェイを横切るような形で反対側の支線(地図にはトランスカナダハイウェイの国道1号線に対して1Aと表記されている)を走って行くとやっとYHの看板が現れた。ここからは道を間違えるようなことはないので自信を持って進む。やがて右に曲がる看板に従い、道からそれて林の中に入る。100m程進むと山小屋風の建物が5棟ほど半径10m程の円形の広場を囲むように立っていた。
広場の中心部にはレーサージャージ姿で荷物を付けたロードレーサーに乗る細身の男が立っていて私を見るなり声をかけてきた。彼、デビットは雪駄をはいていて、私が日本人だと知るとしきりにこれはいいと自慢する。「セッタ」という呼び方を教えてあげると、しきりに「セッタ!セッタ!」と発音している。、
管理人の小屋に出向いて宿泊手続きをしようとすると、出てきた女性の管理人は後でまとめてやるからというようなことを言ってにらみつける。最初意味がよくわからず、何度も聞き返したのでいらいらしたようだ。後ほど始まった手続きの時に食事がとりたいというと食事は出せないときっぱり言われた。
デビットが、「ここは自炊ができるだけだ。なにか食事の材料は持っていないのか?」と親切に教えてくれた。材料を持っていないと言うと、レイクルイーズの町に出かける用事があるので買ってきて上げると言う。ハムやパンなどを適当に買ってきてくれと頼むと、彼は自転車をとばして行ってしまった。
彼はフィアンセに電話をするのが旅先でも日課になっているという。戻ってきたので代金を払おうと財布を見るとこまかいお金がない。彼はこれはプレゼントするからお金はいらないと言って私の差し出す紙幣を受け取らない。しょうがないのでお礼を言っていただくことにした。もちろん食事の時には材料を彼にも分けてあげ、後かたづけはすすんで彼の分もやらせてもらった。
食後は色々な人と話をして情報交換を行う。日本人のバックパッカーも1人いたが少し話をしただけで、主にアメリカ合衆国から来たという人々といい加減な英語で色々な話をした。コンピュータ関連の部品を造っているインテルと言う会社でデバイスの設計をやっているというサイクリストがいて話が弾んだ。仕事柄詳しいコンピュータの話になると、別の言語を話す異国の人ではなく、同じ専門用語を話すコンピューター共和国民同士になってしまうから恐ろしい。話の内容がわからないデビットは、たまらず何の話をしているのだと問いかけ、我々を異国の人のような目つきで見たのであった。
寝室に戻ると今度は同室の人と話が弾んだ。みんな世界中から集まっていて、フランス,スイス,カナダ東部から来た人は3人とも共通の言語であるフランス語で話をしている。英語だけが世界共通の言葉ではないことを認識させられる。