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旅の出発前日に、1年以上苦労した仕事の最終納品として、ドキュメントの差し替え部分の1ページを客先に持ち込みフィニッシュ。新しい仕事も入ってきており、今回の休暇の願いについては、上司から今までにないほど嫌な顔をされたため、旅の日程を削ったところであったが、絶妙なタイミングである。休暇を取るための準備に手間取って、前日の帰宅は遅く、ほとんど寝ていない状態での出発だ。 |
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三鷹に引っ越してきてから最初の海外ツーリングであるが、モールトンでの海外は前回のイングランドに続いて、2度目であり、輪行時のパッキングに自信がある。最寄りの駅である吉祥寺駅には自走で向かい、駅でパッキングする。海外となると飛行機の時間を厳守しなければならないので緊張する。この調子だと、ずいぶん早い時間に東京駅に着きそうだが、今回の旅の往路は、片岡さんと一緒であるため、成田エクスプレスの指定席を取ってあり、東京駅で時間をつぶすことになるだろう。 |
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成田エクスプレスの発着する東京地下駅のホームで片岡さんと合流。片岡さんはフォールダー・フォーラムの参加のみで、自転車の携帯はなく、コンパクトなスーツケースを持参している。成田エクスプレスは、あいにく離れた席しか指定席を取ることができなかったが、寝るのが目的なので問題はない。しかし、席は4人掛けの向かい合わせであるため、正面の人の足が邪魔をしてゆっくり足を伸ばして寝ることが出来なかった。 |
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前回1995年に成田空港を利用したときは、第二ターミナルであったので、第一ターミナルは久しぶりの利用である。第一ターミナルは半分が工事中であった。 旅行会社のカウンターでチケットを受け取り、片岡さんはポンド通貨を入手するために両替所へ。私は、前回の渡英の際に残ったポンド立てのトラベラーズチェックが少々残っているので、ロンドンで現金化することにする。 さっさとイミグレーションで出国手続きを済ませ、サテライトへ向かう。時間があるので免税店に寄り、購入を予定しているICレコーダーの新型を探すが、希望のモデルは無し。電化製品など、金額、品揃え双方とも不満あり、という結論。サテライトでは、アレックス・モールトン博士にお会いすることが出来るのではないかと見渡すが、それらしき人物は見あたらない。アレックス・モールトン博士とは、今回私が携帯している自転車で、片岡さんも所有しているアレックス・モールトンという自転車の設計者である。2週間ほど前から新車の発表のために来日していたが、偶然にも英国への帰国が我々の渡英と一緒の日になったので、同じ便かもしれないと少々期待していた。もっとも、ご高齢で社長でもある博士ぐらいになるとファーストクラスだから、同じ便になったとしても、お見かけすることは無いのかもしれないが。(後日、フォールダー・フォーラムに参加した博士の後継者であるショーン・モールトン氏に確認したら、英国航空ではなく、バージン・アトランティク航空の利用であったとのこと。) 英国航空に搭乗。我々の座席は通路側と、その隣の内側の席。私は通路側の席にしてもらったが、片岡さんは内側なので、狭い思いをさせてしまい、申し訳ないと思いつつ、ほとんど寝ていない私は、呆れられるほど寝込んでしまったようだ。 |
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とにかく寝ている間にヒースロー空港に到着。前回の渡英時はイミグレーションで長い列が出来、いろいろ聴かれたりして、入国に時間がかかったのを思い出したが、今回はスムーズにイミグレーションを通過できた。イミグレーション通過後、ちょうど目の前にあった両替所で、トラベラーズチェックを現金に交換。 片岡さんが、フォールダー・フォーラム主催者のヘンショー氏から聞いたという開催地ワイト島へのアクセス方法に従い、ウォキング駅へ向かうバスを探す。インフォメーションカウンターで尋ねると、建物のすぐ外側のバス停から出発するとのこと。バスの発車まで少々時間があるので、ロビー内にある書店に寄って地図を物色するが特に気になる物は無く、あきらめてバス停へ向かうと、ほぼ定時にバスが到着。ハイデッカーで、机などが付いてゆったり座ることの出来るバスだ。バスは、空港の外に出たと思うと、また別のターミナルに寄ることを繰り返して、やっと空港の外の高速道路に入った。 |
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バスは高速道路から別れて、緑豊かな森の中の一般道を数分走り、ウォッキングの市街地に入ってきた。ヒースロー空港から南に位置する、このウォッキングから鉄道に乗り換えることによって、ロンドンを経由せずにイングランドの南方面にアクセスする事ができ、移動時間の短縮になるわけである。今回、フォールダーフォーラム主催者のデビット・ヘンショー氏は、折り畳み自転車と公共交通機関を合わせて利用することを目的としている団体の主催者だけ有って、バスや鉄道など、公共交通機関にとても詳しい。彼ならではのアドバイスに感心する。 乗り込んだ車両は、コンパートメントの廊下の様な場所で、パッキングされた自転車を置くのさえおぼつかない程の狭い空間しかなかったが、次の乗換駅まで、短い時間の利用なので、座席を確保することもなくそのまま立っていた。 |
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程なく到着したギルトフォード駅で、各駅停車から快速列車に乗り換えるために下車。これもヘンショー氏のアドバイス通りである。 今度の列車もあまりゆったりとした物ではなかったが、向かい合わせの4人掛けの席に座ることができた。列車はあまりきれいではない。特に、車両の増結部分は、さっきまで先頭車両であった、最前面が連結部のドアとなっているため、埃やゴミどころか、当たって潰れた虫が沢山こびりついていて、近寄れた物ではない。 |
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高速で走る列車に1時間ほど揺られ、ポーツマス・ハーバーの駅に到着。潮の香りがしてきた。ポーツマス・ハーバーの駅は、行く手を海にはばまれた終点の駅で、ここからワイト島に向かう連絡船に乗り換えることになる。ホーム先頭から、通路を100mぐらい歩くだけで連絡船乗り場に着いた。 連絡船の時間を確認して、乗船を待っていると、通路を自転車を押して、英国紳士&淑女風のご夫婦が現れた。ご婦人は、私の愛車と同じモールトンのAPBモデルで、旦那さんはBromptonと言う折り畳み自転車である。私の持っている袋の中はAM-14なんです。というような会話をする。想像通り、彼らもフォールダー・フォーラムの参加者であり、後で名前をうかがったところ、マーチン・ファーガーさんと、その奥様のリンダさんご夫妻だ。 船に乗り込むと、すでにデッキには折り畳み自転車が数台あり、出航までには、十数台に膨れ上がっていた。船はポーツマスの湾の一番南側からワイト島に向かって南下する。両サイドに岸が見える間、船はのろのろ走っていたが、岸から離れるとスピードを上げだした。 ワイト島は、地形的にはもう一つ西側に位置するサザンプトン湾から見てもほぼ真南に位置する。島の中央部とサザンプトンの港を結んでいる連絡船もあるが、鉄道とリンクしていることもあって、ポーツマス・ハーバー駅からのルートが一般的のようだ。サザンプトン港と言えば、かのタイタニック号が処女航海に出発した港である。この豪華客船に乗った人々も、我々が見ているこの海とワイト島を見ながらの旅立ちであったのだろうか。 |
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ワイト島の入り口ライドの浜は遠浅のようで、連絡船の到着する港は、町から海の上を北に1kmほど飛び出した橋の先の桟橋に到着した。1kmほど続く橋には、道路と鉄道が通っており、鉄道の駅は連絡船が到着した桟橋から出ている。 すでに到着して待っているシャンクリン駅行きの4両編成ほどの列車に乗り込む。この列車は、ロンドンの古い地下鉄のように、天井が丸く低い。乗り込んだ車両には、ファーガー夫妻と、バーディーという折り畳み自転車を持った若いアベックの他、フォールダー・フォーラム参加者と思われる何人かの人が乗っていて楽しそうに話し込んでいた。自転車を袋に入れているのは私だけで、みな折り畳んだ状態のまま袋に入れず傍らに置いているどころか、リンダさんのモールトンAPBは完成車のままである。ここ英国では何の問題もない。 |
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フォールダー・フォーラムが開催されるベントナーは、鉄道の終点であるシャンクリン駅から5kmほど南である。駅前は人気が無く、バスやタクシーも見あたらず、どうしようか考えていると、ファーガー夫妻が、自転車で手を振って走っていった。ちょっと待っていると、タクシーが1台来て、面倒見の良い運転手がバーディーのアベックと私たちと一緒にベントナーまで運んでいってくれるとのこと。 ベントナーへの道中、タクシーは意外と起伏の激しいコースをたどった。ファーガー夫妻は、海沿いのフラットなコースでも走っているのだろうか。このコースだとそれなりにきつい走りになりそうだ。道中は、緑がとても美しく、たまに現れるのんびりした町並みが、観光地に来たことを感じさせる。 |
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| Folder Forum会場のWinter Gerden |
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ベントナーの町の集落に入るか入らないかのあたりで、Birdayのアベックが予約している宿に到着し、Birdayをトランクから出す。タクシー代は、4人で割り勘なので、2人分として、£5ほどいただき、我々2人は再びタクシーに乗り込み、会場のウインター・ガーデンに向かう。 左側にウインター・ガーデンが見えてきた。ヘンショー氏を通じて予約してもらった宿は、ウインター・ガーデンのほぼ正面に位置するB&Bなので、タクシーでそこまで行ってもらう。宿に入って、片岡さんが宿の主人にヘンショー氏を通じて予約してある旨を伝えると、部屋は無いとのこと。ヘンショー氏からは、宿は確保してあるから予定通り来られなくても、宿代は払わなければならないと言われているので、これはおかしい。片岡さんが強く交渉しているが空き部屋がないので有れば、どうしようもない。会場に居ると思われるヘンショー氏にどうなっているのか聞きに行くしかないと、私がウインター・ガーデンに向かう。 ウインター・ガーデンの建物に入ると、折り畳み自転車を持った人が居たので、ヘンショー氏の居所を尋ねると、2階に居るとのことだ。早速上がって行くと、ヘンショー氏と対面できた。自己紹介し合うと、スタッフの何人かを紹介してくれた。こういったパニック状態では、なにをどう英語で言ったのか覚えていないが、適切に伝わっているらしく、すぐ一緒に宿に駆けつけてくれた。 宿について交渉してもらうが、空き部屋がないので、どうしようもない。その宿は当然、他の参加者で一杯である。宿泊者のうちの一人であろうご婦人が騒ぎを聞きつけて話しかけてきた。彼女は、日本語がそこそこ話せるので、ヘンショー氏の難しい話を通訳してくれたり、同情してくれたりと、いろいろ助けてくれた。結局、予約した2泊の内、1泊はあきらめ、今晩の分として別なB&Bを宿の人に探してもらった。宿に向かう前に、私の自転車を会場に保管してくれるとのことなので、ウインター・ガーデンに寄ってから宿に向かった。 |
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ヘンショー氏は、我々と共に歩いて宿まで同行してくれた。海沿いの斜面に位置するベントナーの町をジグザグに登って、高い所にあるB&Bベルビュー・ハウスに到着。小さな庭のある普通の家である。ヘンショー氏は、我々が夕食がまだと聞くと、食事を確保しに連れ出してくれた。この時間は、テイクアウトの店しかないようで、途中、町の人に場所を確認しながら、チャイニーズテイクアウェイの店に我々を案内してくれた。この時間では他に選択肢は無いようで、この店は、他の参加者も利用しているようであった。ヘンショー氏は顔見知りの参加者と少々話をし、我々の注文が済むと、我々に声をかけて会場に戻っていった。ヘンショー氏と片岡さんは日頃からやりとりをしていて、今回はそのヘンショー氏からの招きであった。そうであるとは言え、明日の準備もあるのに、異国から来た参加者への主催者自らのサポートに頭が下がる。 できあがった中華料理の包みを抱えてB&Bに戻り、部屋で食事をする。2人ともかなり疲れていて、片岡さんは、あまり食欲がないらしく、チキンナゲットのようなものに甘いソースという、少々我々にとっては慣れない組み合わせの味に、閉口していた。 |