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| Mexico Cityで宿泊したMansion Havre Hostel |
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朝食を取りに、1階にあるYH併設のカフェに入る。インターネット・カフェも兼ねていて、昨晩も夜遅くまで利用する人が居た。朝は、宿泊者専用のようで、裏口からしか入れない。利用者は宿泊費に含まれているので、とくにチェックすることもなく、並べられている物を適当に取る。各種パンや、コーヒー,紅茶,牛乳,オレンジジュースなどの飲みもの、コーンフレークや、ちょっとしたフルーツとヨーグルトもあった。 一人で食事をしている若者が居たので、ここに座っても良いかと声をかけて、隣に座る。少々話をしながら食べる。彼は、オランダから来た旅行者で、これからラテン・アメリカを旅するとのことだ。 メキシコに到着したことを現地のボランティア事務所に連絡することになっていことを思い出し、YH内の公衆電話を使うべく、レセプションで、テレフォン・カードを買い求めるが、ちょうど品切れ。近くのコンビニなら売っているというので、行ってみると、米ドルは使えないと断られてしまった。YHに戻って、その事を言うと、US$5を、50ペソに交換してくれた。2年前もそうだったが、ドルとメキシコ・ペソの交換比率は1:10のようだ。 コンビニで、30ペソのテレホンカードを買い求め、YHに戻って電話をすると、ガードマンなのだろうか、男性が出て、誰もいないというようなことを言っている。まだ9時前だから無理もない。 |
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貴重品を持って、在メキシコ日本大使館領事部に自転車で向かう。旅の目的地はキューバなのだが、メキシコ・シティーまでわざわざ来たのは、日本大使館で、公用旅券を一般旅券に切り替えるためだ。ベリーズから日本に戻る途中の寄り道は、私的な旅行なので、公用旅券は使えない。そもそも、公的な目的でも、私の持っている公用旅券の渡航可能先の国として、キューバが記載されていない。 在メキシコ日本大使館領事部の前で、自転車を畳んで、1階の受付に行くと、まだ日本大使館領事部は開いていないと言われる。てっきり9時に開くので、少し待っていればよいのかと思ったら、あと30分はかかるというので、自転車を組み立てて、周囲を散歩がてらに走り始める。周囲は通勤時間帯であることもあり、自動車の交通量や、歩行者が多い。2年前到着した日の夜、一緒に日本を出たみんなと食事に出かけた時に見かけた、独立記念塔アンヘル(天使「エンジェル」の意味)を見かけて、位置関係がやっと理解できた。ちょうど、米国のイラクへの侵略戦争が勃発した直後で、独立記念塔の根本や、周囲の歩道には反戦のスローガンが書かれた看板が置かれ、火でも焚いて騒いだのか、道路が黒く焦げているところもある。 メキシコ・シティーは、人口の多さが世界屈指の首都で、高層のビルも乱立していて、ベリーズから出てきた直後で、まさしく「大都会」を感じつつ、うろうろしているうちに、すぐに30分ほど時間が経過したので、在メキシコ日本大使館領事部に戻る。 畳んだ自転車を転がして、先ほどはストップをかけられた受付をすんなりと通過し、エレベーターで、目的の階に上がると、すぐに領事部の窓口のある部屋があった。いかつい体をしたガードマンがニコニコして、中に入れてくれる。窓口の日本人に旅券切替に来たことを告げ、効用旅券を差し出すと、すぐに日本で預けてあった一般旅券を出してきてくれた。もちろん事前にここで切り替えることを通知済みだ。先ほどまで使っていた公用旅券は、無効化の穴を開けられ再び手元に戻ってきた。それにしても、見知らぬ日本人と日本語で会話することは滅多にないことなので、少々嬉しくなる。 |
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大事な目的を果たし、YHの部屋に戻ると、同室の男性が2人いた。私のことを見ると、一人が近寄ってきて自己紹介をして握手を求めてくる。彼は、米国人で、友達に会いにメキシコ・シティーに来たらしい。もう一人の小柄な男性は、友達の一人のようだ。昨晩、彼のベッドは荷物などがあったようだが、朝まで誰もいなかったが、夜通し友達と外にいたようだ。 彼らはこの辺のことは詳しいようなので、飛行機まで時間があるので、少々観光したいというと、親切にいろいろ教えてくれた。私の持っている地図上に、アステカ時代に作られた水道橋が描かれているので、見に行くというと、近くの素晴らしい噴水等の観光ポイントを紹介してくれた。 あまりにも親切なことに、違和感を感じ、彼を観察していると、どうやら、同性愛者のようだ。女性らしい手つきをしているなど、そう思ってみると、仕草がまったくそれらしい。同じ男性の私に対してもとても親切だが、けっして危険な感じはしない。しかし、男女別のドミトリーになっているYHで、こういう人達に堂々と泊まられると、モラルも何もあった物ではないなと思う。以前、日本の青少年向けの宿泊施設でも同様な問題があり、そういう人達を泊めないようにしたら、差別だと抗議があったと聞く。難しい問題だ。 |
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YHを出て、アステカ水道橋を目指して走り始める。メキシコ・シティーの自動車の交通量はとても多く最初は閉口したが、ちゃんと自動車の流れをつかんで、それに逆らわずに車道を走れば、大きな問題は無いようだ。それより、交通量に道路の整備が付いていかなかったり、工事中だったりして路面が悪いので、そちらの方に気を付けるのが重要だ。 わかりやすい大通りをたどって走っていると、ここで右折すれば良いと言うところは、大きな立体交差になっていた。無理矢理右折すると、ショッピング・センターのような所に出てしまう。人々は歩いているので、自転車を押して、目的の方向に抜けると、やっと目的の道路に出た。そして、程なく、目的のアステカ水道橋が目に入った。太い道路の中央分離帯の代わりに、200mほど古い建造物が残っていた。看板が出ていて、説明が気があるが、スペイン語なので、さっぱり解らない。 |
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アステカ水道橋で写真を撮って、同性愛者に教えて貰った噴水をめざす。1kmも行かないところにそれはあった。大きなランナバウトの中心に、2頭ライオンが引く車に乗った女神のような女性像がある。その回りを噴水が囲み、豊富に水が流れている。 時計を見ると、11時過ぎ。YHのチェックアウトの正午までもう少々時間があるので、チャプルテペック城へハンドルを向けて走り始める。 |
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地図で見るとチャプルテペック城のエリアは広大で、中に博物館とか、いろいろな施設がある。あと30分程度で、あちこち見て回れるわけがないので、入口にでも行ってみて、なにかそれらしい物が見れれば儲けものだ。 大きな通りを横切ると、チャプルテペック城の入口があって、立派な門の中を覗くと、ずうっと奥に建物があり、になにやら旗が掲げられているのが見える。自由に入って見学しているので、自転車を押して中に入り、いけるところまで行ってみる。 1kmほど進むと、柵があって、その中には、英雄少年記念碑と呼ばれるモニュメントがあって、その向こうにあるのが、お城の建物のようだ。チャプルテペック城をちょっとだけ見ることができて、時間的にもここまでだと思い、素直にYHに戻るべく、チャプルテペック城を後にする。時計を見ると、正午まで20分ぐらいしかない。チェックアウトに少々間に合わないからといって、何かされるわけではないと思うが、レセプションが閉まると困る。キー・デポジットも返して貰わなければならないし、空港までのタクシーも呼んでもらいたい。 近道をしたため、先ほど走ったルートとは別な方角から戻ることになり、YHの前の道を通り過ぎてしまったのか、5分ぐらいうろうろするが、この辺だと思ったところにYHを見つけられない。時間が迫っているので焦って、1本隣の通りを戻ると、見慣れた景色が目について、やっとYHに戻ることが出来た。まったくもって、急がば回れとはこのことだ。 |
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YHの部屋に戻って、荷物を担いで1階に降りて、チェックアウトをする。安全に空港へ行くにはどうすればよいかと訪ねると、シティオというちゃんとしたタクシーを呼ぶべく電話をしてくれた。少々待っていると、すぐに立派なタクシーが到着。おだやかな感じのおじさんが運転手でほっとして乗り込み、YHを後にする。 |
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市内は交通量が多く、決してスムーズと言うわけではなかったが、タクシーは20分ほどで、無事国際空港に到着した。タクシーの料金は、US$10だ。昨日のタクシー・チケットより安いが、夜間だったので高いのは仕方がないのか。とても安心して乗れたので、手持ちの全てのペソである、20ペソを運転手にチップとして渡すと、おじさんもとてもニコニコしてくれた。 空港では、まずカンクンからキューバの首都ハバナまでの往復航空券の購入だ。キューバへの便を運行している航空会社はIATAに加盟していないので、航空券をベリーズでは購入することが出来なかったが、インターネットで予約はしてあり、メキシコ・シティーの空港で購入可能とのこと。チケット売り場の窓口に並び、順番が来たので、予約番号など伝えて、シティバンクのトラベラーズ・チェックを見せて、これが使えるかと尋ねると、窓口の女性が、偉いさんに確認の上、使えるというので、目の前でサインをして差し出す。しかし、いざ、発券のための端末入力の段階になって、トラベラーズ・チェックの選択肢が、ビザとマスターしかないということが解り、大騒ぎになった。待つこと数十分。なんとかなったようで、発券された。2年前にメキシコ・シティーに来たときは、町の中心部の至る所にシティ・バンクの看板があったが、今は撤退したのか、他の銀行に代わっていると言うことだが、ついこの間までメジャーだった銀行が発行したトラベラーズ・チェックが使えないはずはないのだ。 さて、航空券の次は、キューバ入国のためのビザに相当する、ツーリスト・カードの入手だ。航空券の予約時に、メキシコ・シティーの空港で買うことが出来るという話だったので、航空券を売ってくれた担当者に尋ねると、反対側を指差して、あっちのカウンターで買えと言う。行って見て係員に尋ねると、少々調べた後で、ここでは売ってないので、カンクンで買えと言う。一体どうなっているのだ。ここメキシコ・シティー国際空港から、ハバナまでの直行便もあるのに、ここで購入できないとは不思議だ。まあ、カンクンで乗換の時間もあるので、さすがにキューバへ一番近くて、メジャーな経由地であるカンクンで買えないわけはないだろうと思い、メヒカーナ航空のカウンターで、カンクン行きの便のチェック・インをする。 荷物を預けて身軽になり、搭乗までは時間があるので、腹ごしらえをすることにする。日本でも見かけるハンバーガー・チェーン店、バーガー・キングがあったので迷わず入る。とにかく、どんな食べ物でも、素晴らしいものの様に見える。ベリーズでは食べることの出来ない、豪華なハンバーガーをかぶりついて、再びベリーズから離れたことを実感する。 |
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搭乗時間になったので、カンクン行きのメヒカーナ航空に乗り込む。機内では、軽食が出たが、先ほど巨大なハンバーガーを食べたのに、さっさと食べてしまう。 窓の外に、カリブ海が見えてきた。そして、カンクン空港に着陸。大きな国メキシコの国内線による移動は、これで終了。飛行機からバスに乗り換え、到着ロビーに到着し、預け荷物を受け取り、 早速、すぐ隣のエリアにあるチェックイン・カウンターに移動して、チェックインをする。預ける荷物には、バッグのチャックなどに厳重に、樹脂製の帯で封印をして、それを切らないと開けられないようにしてくれる。今までこんなに厳重に荷物に封印をされたのは初めてだ。先ほど、預けてあった荷物を受け取る際にも、ちゃんと自分の荷物かどうかのチェックを受けたが、それだけ、盗難が多いのだろう。 チェック・イン終了後に、キューバへ入国するための、ツーリスト・カードを売っているカウンターを教えてもらい、無事購入。旅の準備を開始してからずいぶんかかったが、直前になって、念願のキューバへの入国のお膳立てが全て整った。 そろそろ搭乗時間だと思い、セキュリティを通過し、案内を頼りに指定された搭乗ゲート番号をめざして歩くが、なかなかたどり着かない。やっとたどり着いたのは、まだ工事中のターミナルで、ここはきっと新しい別なターミナルになるのだろう。 工事中のためか、薄暗い待合いスペースのベンチで待っていると、米国人のグループと思われる人達が、同じ飛行機を待っている。米国としては国交もなく、公式には行ってはいけないことになっているキューバだが、噂通り多くの米国人が訪れるようだ。東洋人女性も一人居る。良く見ると、日本語のガイドブックを持っているので、搭乗時に声をかけると、私は日本人だと思っていなかったようでびっくりしていた。彼女は、1週間ほどの予定で、ハバナ観光をするために、日本からヒューストン経由でカンクンまで来たとのこと。このルートなら途中宿泊せずにハバナにたどり着けるとのことだ。噂に聞くとおり日本人観光客も多そうだ。 |
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飛行機がハバナの空港に着陸し、タラップを降りて、バスに乗り込み、到着ロビーに向かう。 到着ロビーはとても殺風景な感じで、もう外は真っ暗なので仕方がないとは言え、とても薄暗い。早速、入国審査の列に並ぶ。自分の番になって、審査官のいるブースの前に出ると、少々高いところに係官がいる。出口にはドアがあって、審査がパスしないと、そのドアのロックが解除されないようで、物理的に通過できないわけだ。同じく共産主義国の旧ソ連の入国審査の話を思い出してしまった。 とにかく、「オラ」と、スペイン語で挨拶をして、パスポートとツーリスト・カードを差し出して、係員と面と向かうと、なにやらパスポートなどをチェックして、ほとんど会話もなく、審査完了。ドアの開け方が良くわからなく一瞬戸惑う物の、無事入国した。 日本人の女性もタクシーを利用するなら、一緒にと思ったが、宿の人が迎えに来るそうなので、一人でタクシーに乗ることにする。女性のタクシーの客引きが来たので、宿の住所を見せると、タクシー乗り場まで連れて行ってくれ、タクシーに乗せてくれた。 |
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タクシーの運転手に、宿の住所を見せると、行き先を理解したようで、とにかく薄暗い空港を出発した。道中も、ぽつぽつと街灯があるだけで、とても殺風景で寂しい感じだ。車の交通量が少ない中、ときおり、クラシカルな車が通りかかる。キューバでは、米国の古い車を見かけることがあるとは聞いていたが、こんなに当たり前のように走っているとは驚きだ。 ハバナの繁華街に入ってきたのか、だんだん建物が増えてきた。なにやら、古くて大きな建物の近くを通ったときに、運転手が、建物についてなにか説明してくれたが、スペイン語なので全く理解できない。その場所を過ぎると、旧市街に入ったのか、通りを挟んで、建物がびっしりと並んだ道を走る。とにかく、道は暗くて、車の通りも少ない。平行する海沿いの道に出て、番地を確認しているのか、車はゆっくりと進み、ある地点で停車した。 タクシーを降りると、建物前にいた若い女性が近づいてきて、Mr. Yoshidaかと声をかけてきたので、そうだと答える。この女性が、宿の主人の、メイディスさんだ。荷物を降ろして、タクシー代を支払うと、女性はわかりやすい英語と、片言の日本語で、4つの鍵を見せながら、使い方の説明をはじめた。まず、最初に建物の入口の頑丈で錆び付いた鉄格子の鍵を開けて建物の中に入る。10mほど奥に入ると、古くてきたない建物からは想像できないが、エレベータがあって、4階に上がる。この階が彼女の家で、その1室を宿として貸しているようで、要するにアパートメントなのだ。彼女が私の到着を外で待ってくれていた理由がやっと理解できた。廊下から部屋へ入る入口が2つあって、2つの鍵がその鍵だ。入口の一方に入ると、小綺麗なラウンジがあって、その向こうにあるベランダからは通りと海が見える。古い建物の外観や、はっきり言って汚らしい共有部分の廊下からは想像できないほど奇麗だ。最後の一つの鍵が、ラウンジから、自分の部屋に入る鍵だ。 ラウンジ同様小綺麗な部屋には、ダブルベッドと、シングルベッドが一つづつあり、清潔なトイレとシャワールームの部屋のドアがある。宿の女主人のメイディスは、日本人と結婚して一緒に宿を経営していたが、離婚したとのことで、今は一人で経営しているとのこと。どうりで、片言の日本語が話せるわけだ。とにかく、今日は遅いので、2泊分の宿泊費、US$60を支払い、シャワーを浴びて寝る。 |