ベリーズ・サザンハイウェイサイクリング

ベリーズ・サザンハイウェイサイクリング 詳細
2003年3月24日 月曜日 念願の全ハイウェイを走破してプンタ・ゴルダに到着


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走行ルート
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Hello HotelIndependence入口ジャンクションBladen橋Golden Stream村Nim Li PuniBig FollsColeman's Cafe
天候
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晴れ一時曇り少々雨
宿泊先
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Charlton's Inn
走行データ
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最高時速:43.5km/s
積算距離:4210.2km
走行距離:112.93km
走行時間:7時間28分05秒
平均時速:15.1km/s
支払い
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スクールBZ$1.50
クリスタル小ボトルBZ$1.25
Coleman's Cafeにて昼食
スプライトBZ$1.75
カレーチキン&ホワイトライスwithシチュードビーンズBZ$6.00
マヤの刺繍BZ$10.00
クリスタル大ボトルBZ$2.00
Charleton Inn宿泊費BZ$50.00
夕食
ベリキンビール(2本)BZ$5.00
フライドフィッシュBZ$10.00
クリスタル大ボトルBZ$2.00
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Hello Hotel 06:09発
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Independenceで宿泊したHallo Hotels5tr
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Independenceで宿泊したHallo Hotel

5時過ぎに起きて、出発の準備をする。まだ外は暗い。6時前に部屋を出て周囲を探すが、警備員のようなひとはいない。これは困ったと思いつつ、写真など撮って時間を潰してから、レストランに行くと、キッチンに誰かいた。その人に鍵を渡して、いよいよ出発する。

Independence入口ジャンクション 06:30着 06:33発
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昨日Southern Highwayから別れた分岐点まで戻るs5tr
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昨日Southern Highwayから別れた分岐点まで戻る

昨日、走ってきた道をひたすら戻る。さっきまで暗かったのが、どんどん明るくなってきて、今日も暑くなることを予感させる。道の右隣が道と平行に滑走路になっていて、クラシカルな複葉機がエンジンをかけている。そこを追い抜いて走っていると、私を追い抜くようにその複葉機が滑走を開始し、プロペラの音を響かせながら優雅に飛び立っていった。

昨日、休憩した分岐点に到着。直進すれば、ダングリガに戻るし、左に行けば、今日の目的地のプンタ・ゴルダ方面だ。写真などは昨日しっかり撮ったので、止まることなく、迷わず左のプンタ・ゴルダ方面に向かう。

Monkey River Village入口 06:52着
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サザン・ハイウェイは、もう一度、ほぼ直角に右折して、コの字型に内陸方面に進路を変える。ちょっと行くと、看板があって、左手に入る道が目に入る。この道をずっと行くと、カリブ海沿いにモンキー・リバー・ビレッジがある。昔はマホガニーなどの木材の積み出しのため、大勢の人が住んでいた集落のようで「町」にカテゴライズされいたようだ。今でも昔の名前でモンキー・リバー・タウンと呼ばれることがある。

Vella Vista 07:08着
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意味の不明な自転車の標識s5tr
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意味の不明な自転車の標識
新しく舗装された区間が続くs5tr
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新しく舗装された区間が続く

ベラ・ビスタという標識が現れたと思ったら、ハイウェイの両側に、そこそこの規模の集落が見えてきた。商店があり、人々が歩いている。制服を着た子供達もいる。しかし、あまりにも古いためか、使用している地図にはこの集落の記述はないので、比較的新しい集落なのだろう。ふと右側に自転車の絵が描かれた標識があった。一体何を示す物なのだろうか。それなりに人が住んでいるので、自転車の通行も少なくはないだろうが、単に自動車の運転手に自転車への注意を促す物なのだろうか。ベリーズでこの標識を見たのは、これが最初で最後だった。

Swasey橋 07:21着
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この橋から第三区間が始まるようだs5tr
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この橋から第三区間が始まるようだ

スワジー・ブランチ川の橋を渡った向こう側は、まだ舗装されたばかりのようで、道が新しい。センターやサイドのラインも引かれて真新しさが感じられる。そして、道の周囲は、水はけを良くするためか、木が切り倒され、赤土が露出しているのがところどころ見える。なんとも殺風景な景色だ。沿道の木々が豊富で有れば、直射日光を避けることが出来るかと思っていたので、そういう意味でも残念な状況だ。

Bladen橋 08:06着 08:59発
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石油輸出国機構など世界中の国からの援助で造られた橋のようだs5tr
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石油輸出国機構など世界中の国からの援助で造られた橋のようだ
後ろから追いかけてきたオランダ人サイクリストs5tr
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後ろから追いかけてきたオランダ人サイクリスト

出発してから2時間が経過した。だんだん日差しが強くなってきた。ちょうど本日の走行距離30kmのところに、ペプシ・コーラの看板を出した飲食店らしき物が目に入ったので、寄ってみる。スペイン系のすらっとした女将さんが出てきたので、ここで飲み物を買いたいが、持参した食事を食べても良いかと尋ね、許可を得た。スクールという瓶入りのジュースを買って、屋根の下のテーブルで、昨日買った鶏肉チャーハンを食べ出す。良く言えば、オープン・カフェである。昨晩作った物なので、冷え切っているのと、あまりにもの大量のため、かなり時間をかけて食べたが、半分ぐらい残してしまう。メニューなど無いが、ここでも食事を出しているようで、その女将さんや、子供達は作りたての朝食を食べている。ちょっと失敗したなと思うが、このようなルートでは、食事を事前に確保しておかないと大変なことになるので、仕方がないと納得しながら出発する。

お腹一杯の状況なので、ペースを落としてのんびり走る。朝食を食べたところからすぐの所で、ブラデン橋を渡る。手前にある看板を見ると、この橋があちこちからの寄付で作られたことが解る。OPEC(石油輸出国機構)という文字もある。ここからあきらかに舗装が新しくなるので、別な工事区間に入ったようだ。通常引かれているサイドラインなどはまだ引かれておらず、路肩の整備も真新しい。

Medina Bank 10:00着 10:08発
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建造中の橋の部分だけ旧道に迂回するs5tr
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建造中の橋の部分だけ旧道に迂回する

正面にドラム缶などが置かれていて、右向きの矢印の看板がある所に出る。建造中の橋が2カ所有るという話を聞いていたが、これがその一つだろう。正面に橋の工事現場が見える。それが完成するまでは、未舗装となっている旧道に迂回することになるのだ。

久しぶりの未舗装の道を、ゆっくり走っていると、後ろから来たRV車が私を抜かしざまに、白人女性の運転手が声をかけてきた。なにやら、サイクリストが、10分ぐらい後ろから来ているので、待っているように言ってくれと頼まれたという。どんな人だというと、白人の若者だという。それだけ言い残して、行ってしまった。考えてみても、思い当たる人はいない。このサイクリングの計画を知っている人は何人かいるが、自転車に乗って追いかけてくる人などは思い当たらない。どこかで偶然私を見かけたのだが、何らかの理由で立ち止まらざるを得なかったサイクリストなのか。少なくとも、この未舗装区間を抜けて、休憩が出来そうな木陰を見つけて待とうと、走り出す。

橋の工事区間を過ぎて、舗装路に戻ると、道の両脇に30人ほどの人がいて、道の脇にポールを立てる工事をしている。道の両脇の木々は、道から離れていて、木陰など無いどころか、この季節、焼き畑のシーズンなのか、どこに行っても、草木を焼く煙が出ていて、けむい。木陰での休憩をあきらめ、道端で自転車を止めて小休止していると、大きな荷物を積んだ、本格的なサイクリストが後方にかすかに見えてきた。彼が私に待つように伝言した主にちがいない。すぐに私に近づいてきて、私に挨拶する。彼は、オランダ人サイクリストのバートという。私と同じルートを経て、私が朝食を食べた店で、偶然彼も朝食を食べ、南方向にサイクリストが行ったという話を聞いて、急いで追ってきたそうだ。彼は、昨晩、プラセンシアに泊まっていたそうで、今朝は、プラセンシアから、インディペンデンスへ船で渡ってきたそうだ。そういえば、ホプキンスの地元の人が、ホプキンスからプラセンシアに向かったサイクリストがいたと言っていたが、彼のことかもしれない。

両者ともこれから、マヤ遺跡ニム・リ・プニに行くと言うことで走り始めると、2kmほどで、地図にメディナ・バンクと書かれたところに、またもう一つの橋の工事区間が現れた。今度は、橋のすぐ右脇の未舗装の迂回路を行く。左手に工事区間を見ながら、すぐに舗装された道に戻った。あまりにも私のペースが遅いので、2人のペースに差があるため、バートに先に行って貰うことにして、別れる前に写真を撮る。

Golden Stream村 11:12着 11:15発
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バートが先に行ったので、マイペースで走っていると、2人が別た地点から、10kmほど行ったところで、視界が開けた。川が流れていて工事をしているのが見える。ゴールデン・ストリームが流れるゴールデン・ストリーム村の手前まで来たようだ。収集した情報の通り、この橋の工事区間の手前からはずっと未舗装区間が続いている。古い小さな橋を渡って、左側に建造中の橋が見えた部分を通り越しても、再び舗装路に戻ることはなかった。

未舗装路をゆっくり走っていると、左側に2mほどの高さの崖が目に入った。オレンジの集積場で、この崖の上から崖下に停車したトラックの荷台に収穫したオレンジを落とし込む構造で、道端でよく見かける。周囲にオレンジが散乱していて、美味しそうなので、その中で食べ頃の物を一つ失敬して、食べようと皮を剥いていると、ナイフで少々指を切ってしまった。そして、オレンジを運ぶトラックが来たので、失敬した後ろめたさのため、その場を離れた。少々行ったところに、建物があって、前に井戸があったので、そこでゆっくり指の傷の手当てをして、皮を剥いて食べた。のどが渇いていたこともあって、とてもジューシーで美味しかった。

Nim Li Puni入口 12:02着
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5kmほど走ると、マヤ遺跡、ニム・リ・プニの入口の看板が見えた。話に聞いたとおり、ここからニム・リ・プニ遺跡まで1マイルという表示が出ているので、すぐ右折する。もちろん未舗装だ。

すぐに道は登り始めるが、1マイル(1.6km)なら、すぐだろうと思って自転車を押していると、後ろからマヤの民族衣装を着たマヤの女の子が追いかけてきて、民芸品を買わないかという。それより水が残り少ないので、水は売っているかと聞くと、ハイウェイ沿いのお店で売っているという。帰りに寄ると伝えて、ひたすら登る。

Nim Li Puni 12:17着 13:30発
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丘の上にあるマヤ遺跡Nim Li Punis5tr
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丘の上にあるマヤ遺跡Nim Li Puni
マヤ遺跡によくある球技場跡s5tr
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マヤ遺跡によくある球技場跡
South Groupの案内看板s5tr
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South Groupの案内看板
Nim Li Puniの丘からの眺めs5tr
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Nim Li Puniの丘からの眺め

急な道を登り切ったところに、なにやら建物があったが、まだ遺跡の入口ではなく、一度下ってから、もう一度登ったところに、遺跡のビジター・センターの建物が見えてきた。へとへとになって、たどり着くと、バートの自転車が止まっていて、階段で少々上ったところにある建物の入口に彼がいるのが見える。建物にはいると、彼はもうマヤ遺跡の見学を済ませたとのことで、荷物から食パンなど出して、昼食を食べ始めた。私にも奨めるので、私はもうちょっと先のビッグ・フォールズのレストランで食べる予定だと言い、お断りする。食事よりも、ここまでの登りで体力を使い果たしたので、椅子に腰掛けて、眺望を楽しむのが精一杯だ。

荒い息が落ち着いたので、トイレに行ってタオルを濡らして、顔や首や腕の汗を拭った後、ビジター・センターに併設されている展示室を見学する。なかなか立派な展示室で、出土した石碑の類が展示され、りっぱな解説パネルが張られている。

もうそろそろ出発するというバートに別れを言って、マヤ遺跡ニム・リ・プニの見学を開始する。他の著名なマヤ遺跡と違い、大きな建造物などはないが、他のマヤ遺跡にもある共通の特徴である、球技場などがある。遺跡は、複数の丘にまたがっていて、順路の最後の丘に行くと、広場のようになっていて、巨木が倒れていた。いくら巨木といえども、マヤ文化が栄えていた時代に生えていた木では無いはずだが、なんとなくマヤ文化の栄枯盛衰を見るようである。

Nim Li Puni入口 13:43着
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ニム・リ・プニの見学を終え、サザン・ハイウェイに戻るべく、丘を下り始める。見学は30分ぐらいで終わると思ったが、思ったよりハイウェイからの道のりがきつく、休憩に時間がかかってしまった。サザン・ハイウェイの入口に下り終え、すぐ脇のマヤの土産店に入って、水を買うが、小さなボトルの物しか無く、それを買い求め、半分ほど飲んで、未舗装のサザン・ハイウェイを走り出す。午前中は、直射日光によるくっきりした陰が道に写っていたが、幸いにも、午後になって増えてきた雲で、それがだんだん薄れてきて、暑さによる負担は少なくなってきた。

Silver Creek村入口 14:15着
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途中、小さな川を渡るたびに、1m程の長さの粗末な木製の橋が架かっている。ここをバスやらトラックが通ると思うととても心許ないが、ここも舗装されるのは時間の問題なのだろう。下りきったところにある橋を勢いよく渡ったところ、橋を構成する不揃いな木にタイヤを取られて、転んでしまった。自転車を投げ出して、手を付いたので、怪我などはなかったが、今後この手の橋は慎重に渡ることにする。

もうちょっとで15kmの未舗装区間が終わるはずだと思ったところで、急に道は広くなり、右方向に行くと、シルバー・クリーク村という看板があり、ついに道は舗装になった。サザン・ハイウェイの難所を越したことで、ほっとした。

Big Folls 14:23着
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未舗装区間を抜けBig Fallsに到着s5tr
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未舗装区間を抜けBig Fallsに到着

道が舗装になってから、1kmほどでビッグ・フォールズという集落に入る。この集落はサザン・ハイウェイ沿いでは、かなり大きな部類に入る集落だ。ボランティア事務所のMさんが事前に調べてくれたところによると、この集落にはレストランがあるとのことで、ここで昼食を取ることにしている。

そう考えながら走っていると、その情報の通り、コールマンズ・カフェとかかれた看板が見えてきた。迷うことなく、矢印に従って、右に曲がり少々行くと、また右に曲がるように、看板が出ている。

Coleman's Cafe 14:25着 15:19発
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昼食のWhite Rice with Stewed Beans
Big FallsのColeman's Cafeで遅い昼食s5tr
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Big FallsのColeman's Cafeで遅い昼食

折り畳んだ自転車と共に、レストランに入ると、5人ほどの男達が食事をしていた。表に止まっていた大型トラックの人だろう。20人ほどは入ることが出来る席があるレストランだ。店主の手が空いて、注文を取りに来たので、飲み物とカレーチキン&ホワイトライスwithシチュードビーンズを頼む。店主はちょっとインド系の感じのする人で、店の名前の通り、名前はMr.コールマンだ。サイクリングしていることを告げると、以前日本人が来て、サイクリングしに日本人が来るかもしれないからよろしくと言っていたという。事務所のM氏のことだ。

ピーク 15:35着 15:40発
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原生林の様な風景s5tr
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原生林の様な風景

お腹を満たして、レストランを出る。あとは、ひたすらプンタ・ゴルダに向かうだけだ。コールマンズ・カフェの主人に聞いたとおり、ここにも宿泊施設があるようで、友人がゲスト・ハウスをやっているという。集落の中に、それらしき緑色の建物が左側に見えた。近くに温泉もあるらしい。知っていればここに泊まって、ここから10kmほどのところにあるマヤ遺跡、ルバントゥンを見に行くことができたかも知れないと思ったりする。

ビッグ・フォールズの集落を出ると、サザン・ハイウェイは前方に壁のように直登する登り坂にさしかかる。なぜ丘を迂回せず、直線的に馬鹿正直に丘を登るような道になっているのか理解しがたい。やっとの事で登り切ったピーク付近からは、ジャングルのような景色が眼下に広がって見える。登ってくる大型車両もかなりのゆっくりペースで、あえぎながら登っていることが解る。

Punta Gordaへの入口ジャンクション 15:59着 16:12発
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Punta Gordaへの入口ジャンクションにてサイクリストと再開s5tr
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Punta Gordaへの入口ジャンクションにてサイクリストと再開

その後、何度かアップダウンをくり返していると、下った先が道に突き当たるようになっていて、左にプンタ・ゴルダという標識が見える。下り切る手前で写真を撮っていると、マヤの民族衣装を着た人が、2人こちらに歩いてきて、なにか言っている。勝手に自分の写真を撮っているのに怒っているのかと思ったら、マヤの民芸品を買ってくれと、すごい売り込みだ。これから家に帰るのだが、タクシー代がないとのことで、泣きついてくる。何か買ってやりたいが、サイクリング中なので、荷物にならないような物はないのかと聞くと、マヤの人をかたどった図柄の刺繍が出てきた。どうみても民族的な物ではないが、BZ$10に値切って買う。それでも高い感じがする。

突き当たりの右側にあるガソリン・スタンドで水を購入し、写真を撮っていると、サイクリストが下ってきた。バートだ。自転車の荷物は宿に置いてきたようで、これからマヤ遺跡ルバントゥンなどのある、ここから北のエリアを駆け足で回って来るという。少々羨ましく感じる。宿は、さっき見たゲスト・ハウスのようだ。小雨が降ってきたので、彼は急いでプンタ・ゴルダとは反対方向に走って行ってしまった。それを見送り、私も急いで出発し、プンタ・ゴルダへハンドルを向けた。

San Fellipe 16:46着
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雨はそれより強くはならず、いずれ完全に止んでしまった。プンタ・ゴルダへの道は、地図上では定規で引いたような直線の道だが、少々アップ・ダウンがあるからか、実際はまっすぐには見えない。道の両側は森が続くが、頻繁に、途中で折れた木や、なぎ倒された木々が見える。2001年に上陸して、この付近に多大な被害をもたらしたハリケーン・アイリスの爪痕だろう。

地図上では、直線的に南東に向かう道も、サン・フェリペというところにきて、より東に進路を変える。この辺から沿道の家も増えてきて、森ばかりだった景色に変化が出てきた。後ろから、黒人の人が乗る、ロード・レーサーが私に声をかけて、すーっと抜かしていった。練習でもしているようで、とても早い。

Rice Station 17:05着
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ライス・ステーションという地名の所に来て、進路は真東に変わる。ここで、今日の走行距離はちょうど100kmを記録する。地図でみると、サザン・ハイウェイの支線のような扱いなのか、ここから真南に向かうプンタ・ゴルダへの近道がある。しかし、メインで使われるルートではないようで、全ての車は、東へ向かっている。

Cattle Landing 17:26着 17:42発
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Cattle Landingでカリブ海に出るs5tr
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Cattle Landingでカリブ海に出る
Punta Gordaは目前s5tr
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Punta Gordaは目前

真東に向かう道が終わり、カリブ海に出る2km手前からそれまでは直線的だった道が緩やかに曲がり始めた。さっき抜かしていったロード・レーサーの人が、何処で折り返したのか、正面から来て、すれ違いざまに手を挙げて、なにやら私に声をかけて、行ってしまった。程なく、キャトル・ランディングというところで、カリブ海に出た。ここからプンタ・ゴルダへは、2kmほどだ。海岸線沿いのハイウェイには、東屋のような茅葺きの休憩所が一定の間隔で並んでいて、とても良い雰囲気だ。観光地として、整備しているのだろうか。

Punta Gorda 17:48着
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カタカナで「ホテル」と書かれたPunta Gordaのホテルの看板s5tr
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カタカナで「ホテル」と書かれたPunta Gordaのホテルの看板

橋を渡るとプンタ・ゴルダの町に入る。町の入口に、ホテルだろうか、立派な建物が見えた。今日泊まるホテルは、ここから内陸に向かった所だと思うが、位置関係を見るために海岸線の通りを走ってみる。途中、ホテルの看板に、「ホテル」とカタカナで書かれたものを見つけた。面白がって写真を撮っていると、ホテルのオーナーらしき人がいて、昔泊まった日本人に書いて貰ったとのことだ。海外旅行をしている日本人が、「Hotel」の英語を読めないとは思わないが、カタカナで書いて有れば、私同様、日本人に興味を持ってもらえるということだろう。

Charleton Inn 17:53着
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少々探したが、予約してあるチャーレトン・インに到着。入口の前で、レセプションはどこかとうろうろしていると、誰かが、道を挟んでホテルの反対側の建物にいる男性を指差す。どうも彼がホテルのオーナーのようだ。今日泊まるべく予約してあるというと、BZ$50だが、部屋を見て納得したら、宿泊費を自分に支払ってくれと言い、スタッフの女性に部屋に案内するように指示してくれた。部屋を見ると、満足のゆく物だったので、すぐにそのオーナーに宿泊費を支払って、自転車を畳んで、部屋に入る。

部屋に入って、サザン・ハイウェイを走りきったこと、いいや、ベリーズの全ハイウェイを走りきった達成感に浸っていると、外は急に暗くなり、大雨が降ってきた。昨日にしても今日にしても、とてもラッキーだ。天候も自分のサイクリングに味方しているのだ。

シャワーを浴びて、汗を流した後、例によってTVでイラク情勢のニュースを見ながらぼーっとしていると、雨は上がったようだ。もう外はとっくに暗くなっているが、自転車で夕食を食べに出る。町中は、未舗装の道が雨上がりでぬかるんでいるので、気を付けながら走る。町中をあちこち見て回ったが、結局、最初に目を付けた、ホテルのすぐ裏手に位置する、こじんまりしたレストランでフライド・フィッシュの定食のような物を頼み、ビールで一人ベリーズのハイウェイを走りきったことに乾杯する。

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