RC684&宮城鉄道サイクリング

RC684&宮城鉄道サイクリング PART2 震災の傷跡を心に刻む輪行旅 詳細
2012年1月3日 火曜日 気仙沼の津波被災地を見てショック


| ←前日 | 写真1 2 3 4 5 | 詳細1 2 3 4 5 6 | 日程 | トップ | 翌日→ |
.
.
走行ルート
s5tr
s5bls5br
道中庵YH富沢駅泉中央駅岩切駅一ノ関駅気仙沼駅気仙沼港南気仙沼駅付近復興屋台村気仙沼横町鹿折唐桑駅リアス唐桑YH
天候
s5tr
s5bls5br
晴れ
宿泊先
s5tr
s5bls5br
リアス唐桑YH
走行データ
s5tr
s5bls5br
走行距離:35.7km
支払い
s5tr
s5bls5br
仙台市営地下鉄運賃(富沢駅⇒泉中央駅)¥350
青春18きっぷ1日分使用¥2,300
KIOSK気仙沼店にて
使い捨てカミソリ ジェル付きベスティEX2個入り¥130
いろはす555mlペットボトル¥105
復興屋台村気仙沼横町かに物語にて昼食
地中海風蒸しまるずわいがにセクションMORI¥630
まるずわいがにビスク¥600
リアス唐桑ユースホステル
宿泊費¥2,940
夕食費¥1,050
.
.
道中庵YH 09:11発
s5tr
s5bls5br
道中庵YHの朝食s5tr
s5bls5br
道中庵YHの朝食
土間に愛車を置かせてもらったs5tr
s5bls5br
土間に愛車を置かせてもらった
農家の旧家を改築したYHs5tr
s5bls5br
農家の旧家を改築したYH
母屋も立派な建物だs5tr
s5bls5br
母屋も立派な建物だ

前夜はあまり寝ていないので、熟睡して目が覚めた。同室の若者と一緒に食堂にて朝食を食べる。前回泊まったときは、一切食事はとらなかったので、食堂に入るのも初めてだが、きれいな庭が大きく見えて、良い雰囲気だ。

この道中庵YHは、農家を改築して作ったユース・ホステルで、当時は周囲は農地だったようだ。今では住宅地の中で、マンションなど、高い建物も窓から見えるが、前回泊まったときはそうでもなかった記憶がある。

富沢駅 09:16着 09:28発
s5tr
s5bls5br
仙台市営地下鉄の始発富沢駅s5tr
s5bls5br
仙台市営地下鉄の始発富沢駅
泉中央駅行きに乗り込むs5tr
s5bls5br
泉中央駅行きに乗り込む
三が日なのですいている列車内s5tr
s5bls5br
三が日なのですいている列車内

YHを出て、太子堂駅から来た通り(仙台南環状線らしい)に出て、昨晩来た太子堂駅方向と、反対向きに進む。程なく、前方に鉄道の高架橋が見え、駅らしい物が見えてきた。仙台市営地下鉄南北線の南側の始発駅、富沢駅だ。

駅の東口南側は、建物が少なく、閑散としていて、住宅地の切れ目という感じで、ここから北側は、住宅地が広がり、南側には地下鉄の車庫と、その南側は名取川を超えると、ほぼ名取市だ。

富沢駅で自転車を畳み、終点の泉中央駅まで切符を買い、ホームに上がると、地下鉄が待機していたが、写真を撮るべく、おたおたしている内に出発してしまった。次の電車はすぐ来るようで、朝だからとはいえ、本数の多さに感心する。

泉中央駅 09:57着 10:06発
s5tr
s5bls5br
地下から出る市営地下鉄s5tr
s5bls5br
地下から出る市営地下鉄
ショッピングセンターのような泉中央駅付近s5tr
s5bls5br
ショッピングセンターのような泉中央駅付近

富沢駅を出た地下鉄は、すぐに地下に潜り、仙台駅等、仙台の中心部を通り、北上する。黒松駅を過ぎたところで、再び地上に出て、泉中央駅に到着。駅舎を出ると、ショッピングセンターのように高い建物がある繁華街で、反対側の始発の富沢駅とは対照的だ。

駅前で自転車を組み立てて、岩切方面向かおうとするが、北側の泉区役所側から駅エリアを出てしまったので、少々遠回りして、南下して、剣道を東に向かう。途中、国道4号線を横切るが、学生の頃東北縦断をして北海道まで行ったときにここを通ったはずだが、全く覚えていない。当時の地図には、仙台市泉区ではなく、和泉市という合併前の市名が出ていたのだけ記憶している。

岩切駅 10:34着 10:52発
s5tr
s5bls5br
東北線岩切駅に到着s5tr
s5bls5br
東北線岩切駅に到着
岩切駅から一関行きに乗るs5tr
s5bls5br
岩切駅から一関行きに乗る

県道をどんどん東に向かうと、岩切駅方向に右にそれる道があり、標識に従いそちらに向かう。すぐに岩切駅前に出る。後で思い出したが、この辺も奥の細道サイクリングで通ったところで、先ほど前を通った東光寺の前は「奥の細道」と呼ばれる場所らしい。

岩切駅も、今回の旅の前半で、利府駅から来て、仙台方面へ乗り換えるために、時間待ちをしたことを記憶している。

自転車を畳んで、改札脇で青春18きっぷに日付印をもらい、そろそろ、一関行きの下り列車が来る頃と思い、ホームに入ると、列車が遅れているとのことで、少々待たされた。

一ノ関駅 12:18着 12:22発
s5tr
s5bls5br
大船渡線の小梨駅付近はうっすらと積雪s5tr
s5bls5br
大船渡線の小梨駅付近はうっすらと積雪
山間部を抜けて太平洋を目指すs5tr
s5bls5br
山間部を抜けて太平洋を目指す

岩切駅から乗車した東北線下り列車は、北上し、塩竃や松島を通り、一関方面に向かう。座った横長の座席の横には、小さな女の子とお母さん。向かいには、赤ちゃん連れのお母さんが座っていて、お母さん同士で話している内容が耳に入った。仙台市の若林区に住んでいるお母さんは、震災の時に、赤ちゃんをつれて、避難所に向かう道中、赤ちゃんと一緒だと大変だろうと、見かけた被害の少ない家の人から、招き入れてもらって助かったとか、生々しい話をしていた。10ヶ月が経過し、宮城県にに来ても仙台は復興していて実感がなかったが、被災者から発せられた生の体験談は、よそから来た私に、震災を実感させてくれた。

小牛田駅を過ぎて、一ノ関駅に到着。大船渡線に乗り換える。4分の接続だ。列車は西に向かい、気仙沼手前の岩手県と宮城県の県境付近の山間部は、雪が積もっている。

気仙沼駅 13:40着 14:01発
s5tr
s5bls5br
気仙沼駅から先は運休s5tr
s5bls5br
気仙沼駅から先は運休
ダメージの見えない気仙沼駅s5tr
s5bls5br
ダメージの見えない気仙沼駅
絆を感じるモニュメントs5tr
s5bls5br
絆を感じるモニュメント
被災地エリアを示す地図s5tr
s5bls5br
被災地エリアを示す地図

気仙沼駅に到着し、駅舎の外に出ると、特に震災のダメージは感じられない。駅前には「絆」と書かれたモニュメントがあったり、復興に対しての意気込みが感じられる。

情報収集するため、駅前の観光案内所に入ると、やはり震災の状況を見に来たという、おじさんが、案内所の人から情報を得ていた。被災地を物見遊山に見学に来ていると思われるのも気が引けるが、この人も被災地から来たようで、気仙沼の様子が心配で見に来たという。案内所の人も親切に地図を渡して、被災状況を説明し、レンタサイクルを借りて見て回るのが良いというアドバイスをして、貸し出していた。震災から10ヶ月が過ぎ、まだまだ落ち着かないのだろうが、人が来てくれるのは歓迎してくれるようで、津波被害の状況を示す地図も掲示され、とにかく被害を多くの人に知ってもらいたいという雰囲気が伝わってきた。私もしっかり見て、心に焼き付けようと思い、駅を後にした。

気仙沼港 14:11着
s5tr
s5bls5br
最上階だけ残った男山本店ビルs5tr
s5bls5br
最上階だけ残った男山本店ビル
イカ釣り漁は復活しているようだs5tr
s5bls5br
イカ釣り漁は復活しているようだ
地盤沈下で土盛りしてある道路s5tr
s5bls5br
地盤沈下で土盛りしてある道路
津波で建物が流されたs5tr
s5bls5br
津波で建物が流された

気仙沼駅は、街の中心部からは、それなりに高いところにあり、少なくとも津波の被害は免れたようだ。港の方面に向かうために、斜めに道を下り、商店街の道に合流するが、特に目立った被害はなく、ひたすら、県道26号を東に向かう。まだ海面よりは高いところを通っているのだろう。

ある程度走ってから、交差点をから港が見えたので、右折して、港に沿った一段低い道に出ると、徐々に空き地が見えてきて、被災した建物が撤去されていたのだと理解できる。中には、立て直したと思われる新しい家屋もあるが、なぜか道と家屋の間に段差があり、不自然な感じだ。

港の中心部に向かうと、石造りの立派な建物の1階部分が潰れている。「男山」という看板を見て、報道で見た日本酒メーカーの本社ビルだ。経済番組で、会社を復興するための社長の奮闘ぶりを何度か目にしたが、シンボルとして何とか残して、再建してもらいたい建物だ。後で調べると、この建物は、昭和初期に建造され国の有形文化財の指定を受けていた物で、3階建てだ。ということは、1階と2階部分が、無くなってしまっている。津波で壁などが崩れ構造的に維持できなくなったのだろう。

まずは、港の海に沿った道を行き、下階が吹き抜けのようになった港湾関連の建物が並んでるところ過ぎると、操業を再開したと思われる漁船が見えてきた。正月なので、動いてはいないが、正月飾りの付いた日の丸がはためいているイカ釣り漁船を見て、ちょっとだけほっとする。

魚市場の建物に、歩道脇から上れるようになっていたので、上ってみると、すぐ脇の、シャーク・ミュージアムの前には小さな漁船が打ち上げられたままになっていて、この先、舗装が剥がされたのか、土の道になってしまっている。

南気仙沼駅付近 14:52着
s5tr
s5bls5br
気仙沼線の橋脚のみが寂しく残るs5tr
s5bls5br
気仙沼線の橋脚のみが寂しく残る
気仙沼線をくぐる道路も冠水s5tr
s5bls5br
気仙沼線をくぐる道路も冠水
跡形もない南気仙沼駅と駅前s5tr
s5bls5br
跡形もない南気仙沼駅と駅前
繁華街の名残s5tr
s5bls5br
繁華街の名残
交番前に打ち上げられた漁船s5tr
s5bls5br
交番前に打ち上げられた漁船

とにかく港沿いの道をずっと南下してみる。路面の状況が徐々に悪くなる。埋め立て地で、漁業関係の施設があったのだろうが、ほとんどの建物が土台だけになっていて、見通しが良くなっている。これ以上は、南に行けないという所まで来ると、津波に耐えたのか、再建したのか、大きな施設があり、そこから進路を変えてみる。正月だからか、ほとんど人気がないのだが、たまに自家用車がゆっくりと通り過ぎる。乗車している人は周りを見ているので、私のように、被災状況を見に来たのだろう。

埋め立ててできた半島をぐるっと回るように走ると、パイプラインのような物が横切って、前方の道が低くなってきてその橋を潜るようになっているが、完遂しているので通行止め。仕方なく、進路を変え、川沿いに進と、川を渡る橋が見えてきたので対岸に渡ってみる。地図で、現在位置を確認すると、気仙沼線の鉄路を越えているはずだ。渡った橋を戻り、来た道を戻ると、丸い橋の橋脚のような物があり、同様の物が川の中にもある。さっき通ったときには気がつかなかったが、これは、気仙沼線が川を渡る鉄橋の橋脚だ。その手前を見ると、土手のようになっていて、さっきパイプラインだと思ったのも、気仙沼線の鉄路だったのだ。さっきの通行止めの所から逆方向に、鉄道に出来るだけ沿って、北上する。そろそろ南気仙沼の駅のはずが、それらしい物はない。南気仙沼駅前の道は、半壊の中をまっすぐ、先ほどの魚市場に繋がっているのだが、沿道にはぽつぽつと、建物が残っているだけだ。気仙沼は、気仙沼駅よりも、こちらの南気仙沼駅の方が繁華街の中心だ。高さは全く異なるため、今回の津波では、壊滅的な被害が出たのだ。

復興屋台村気仙沼横町 15:13着 15:41発
s5tr
s5bls5br
港の一角にできた復興屋台村s5tr
s5bls5br
港の一角にできた復興屋台村
気仙沼出身のマギー審司さんが表敬訪問s5tr
s5bls5br
気仙沼出身のマギー審司さんが表敬訪問
まるずわいガニをいただくs5tr
s5bls5br
まるずわいガニをいただく
溶かしバターs5tr
s5bls5br
溶かしバター
まるずわいがにのビスク(だし汁)s5tr
s5bls5br
まるずわいがにのビスク(だし汁)
まるずわいがにを捕っている会社のお店s5tr
s5bls5br
まるずわいがにを捕っている会社のお店

この様子がどこまで続くのかと、やるせない気持ちになり、とにかく、すがる気持ちで、来た道を先に進んでみる。先ほどの川沿いに行くと道は細くなり、山が右側から迫ってきて、登り道になり、津波の被害も顕著な物はみれなくなった。

新しい橋を脇に造っている本町橋のところを右折して、化粧坂という素敵な名前の坂を上り、気仙沼の街の中心の小高くなったところを越え、最初に気仙沼駅から下ってきたところに出た。これで、ぐるっと時計周りに、回ってきて元に戻ったわけだ。もう一度、港に向かい、裏道に入ってみると、今いる高さと、先ほど通った道は少々高いとこを通っていて段差があり、その間から、砂利が顔を出している。道が悪くなっていたと思ったのは、津波で舗装が剥がされたのではなく、埋め立て地が地盤沈下して、満潮時には水没してしまうので、砂利などで盛り土をして、簡易舗装した物だったのだ。民地と道路の間に段差があったのもそれだ。1mも差があるところもあり、地盤沈下の大きさも感じられる。

遅い昼食が食べられればと、漁船が打ち上げられたままになっている交番の角を曲がって、復興屋台村「気仙沼横町」に寄ってみる。ランチタイムが終わって、ほとんどの食堂が支度中。出口付近に唯一「かに物語」という店がやっていて、蟹が食べられるようなので、入ってみる。お店の人に説明してもらい、「地中海風蒸しまるずわいがにセクションMORI」という、蒸した蟹の盛り合わせと、「まるずわいがにビスク」という蟹がたくさん入ったスープをいただく。食べていると、店の人が賑やかになり、見たことのある人が入ってきた。マジシャンのマギー審司さんだ。そういえば、地元気仙沼出身で、おばあさんが震災で無くなられ他という話をテレビで見た。正月で帰省していて、地元で頑張っている人を応援して回っているようだ。他のお客さんと共に、記念撮影に入れてくれた。

鹿折唐桑駅 15:51着 16:01発
s5tr
s5bls5br
痛ましい建物s5tr
s5bls5br
痛ましい建物
一瞬目を疑う光景が迫るs5tr
s5bls5br
一瞬目を疑う光景が迫る
駅前に打ち上げられた船s5tr
s5bls5br
駅前に打ち上げられた船
運休中の鹿折唐桑駅s5tr
s5bls5br
運休中の鹿折唐桑駅
駅前に巨大な船が鎮座するs5tr
s5bls5br
駅前に巨大な船が鎮座する

今晩の宿に向かうため、港から国道45号方向に向かう。少々上って、山側からせり出した部分を超える形で、北に進路を変えて下ってゆくと、左側に見えている高台が遠ざかってゆくにつれ、視界が開けて来た。前方に、いくつか建物が見えるだけで、通り沿いの建物は皆無。その建物も近づくと、3階部分まで津波が来たのか、2階が3階部分に押しつぶされているようだ。

目を疑ったのは、その先に見えた物だ。赤い船底の巨大な船が前方に見えた。近づいてゆくと、確かに大きな船で、不用意に倒れないように、つっかえ棒がしてある。これだけ大きい船は簡単には移動できないだろう。船の周りをぐるっと回ると、駅の看板が見える。近づくと、鹿折唐桑駅だ。大船渡線の気仙沼駅より一つ先の駅で、復旧していない区間で、駅としても稼働していない。ホームから駅前方向を見ると、駅前にあったと思われる建物は皆無で土台だけになり、その代わりに船が立ち上がっている。これほど大きい船がここまで来ているというのは、津波の水位はかなりな物だったと言うことが推測できるし、津波自体でも建物は破壊されたのだろうが、このような大きな船が運ばれてくれば、木造の建物はこの船の船底の部分で、軒並み、なぎ倒されたことも想像できる。

地図で見ると、このエリアは、港からはちょっと離れて、鹿折川沿いに開けた平坦なエリアのようだ。先ほど見てきた港の近くはすぐ内陸側に丘があり、津波の被害はその丘には及ばなかったろうが、こちらは平坦な土地がずっと川沿いに続いていて、海からそれなりに離れていても、津波が置くまで押し押せたようだ。国道45号とのジャンクション手間でやっと津波の影響が見えなくなったが、港から、ここまで1kmほどの区間、見渡す限り建物が無くなっているが、西側の山から鹿折川までの区間、被害面積はすさまじい物のようだ。

リアス唐桑YH 17:11着
s5tr
s5bls5br
リアス唐桑YHに到着s5tr
s5bls5br
リアス唐桑YHに到着
海の幸満載の夕食s5tr
s5bls5br
海の幸満載の夕食
ホタテがいくつも入った贅沢な味噌汁s5tr
s5bls5br
ホタテがいくつも入った贅沢な味噌汁
ほっとする囲炉裏s5tr
s5bls5br
ほっとする囲炉裏

国道45号線に入り、ひたすら上って、やっとトンネルに入る。トンネルを出て下ると、唐桑半島の入り口だ。唐桑半島への案内指示に従い、国道から斜め左の道に入り、突き当たったところを右折して、南下し唐桑半島の先端方向に向かう。国道のトンネルからそれほど下らずに唐桑半島の尾根付近を行くのかと思ったら、その期待はむなしく、先ほどの突き当たりの先はすぐ海だったので、ゼロメートルから半島の尾根に上り返すことになる。

薄暗い中、アップダウンを繰り返す内、ついに日没になり、沿道の目印も見えずらくなってきた。それでも、ユース・ホステルのある中井という集落を見落とさないように走っていると、中井の集落の入り口があり、通り脇を注意深く見ながら走るが、それらしい建物も無く、集落の出口に来てしまったようだ。地図で確認しようと自転車を止めると、犬の散歩をしている女性がいたので、訪ねてみると、やはり行き過ぎたようで、見えるところまで、親切に案内してくれ、街灯を指さして教えてくれた。お礼を言ってその場所に戻り、やっとリアス唐桑YHを発見。節電のためか看板に明かりが付いていなかった。

自転車を畳んで、土間に置かせてもらい、チェックイン。お風呂の後に夕食。刺身や、焼き魚や、魚のフライ等、魚の料理オンパレード。普通に見える味噌汁も、小さなホタテがたくさん入っていた。私以外に本日の泊まっているのは、赤ちゃんを連れた女性。中国出身の人で、一緒に食事。

食後、囲炉裏の脇にテレビがあり、地元の人が撮影した震災の時のDVDが有ったので見せてもらう。一つは、先ほど走ってきた鹿折地区のものだ。山側の高いところの住宅地から撮影した物で、テレビ放送用に編集してある物と違い、カットもなく、ずっと一部始終が見えるので、臨場感があり、絶句してしまう。ゆっくりと海水が押し寄せてくると同時に、先ほど陸に上がっていた船が横切るのが見えた。自動車も、高台への脇道の入り口に引っかかっている。もう一つ、唐桑半島の入江で撮影された物もあり、こちらも、最初は大丈夫だと思っていたところまで、津波がゆっくりと押し寄せ、公共施設なのか、広い建物が飲み込まれている。いずれの撮影者はあっけにとられながらも、ちゃんと撮影を続けているのが印象的だ。

.
| ←前日 | 写真1 2 3 4 5 | 詳細1 2 3 4 5 6 | 日程 | トップ | 翌日→ |

©2007 - 2012 YOSHIDA, man