|
朝、音楽の音に目が覚める。ダングリガの町の人は、きっと夜中も、休むことなく、音楽に合わせて踊っていたのだろう。 ホテルのベランダから、南の方を見ると、すでにスタン・クリーク川にかかるアーチ状の橋には、人が集まっている。今日は、朝から、18??年に、ガリフナの人達が、ホンデュラスから、ボートに乗って、この地に上陸したという歴史的な事実を再現するイベントが行われる。ベリーズ・シティーでも同様なイベントがあるようだが、こちらは当時上陸した場所として、このイベントが、注目のイベントの一つのようだ。7時半にそのイベントが始まるとのことなので、出かける準備をして、同泊のM氏と歩いてホテルを出る。ホテルの前には、いつの間にか、PAが設置されていた。 |
|
アーチ状の橋に到着し、橋の欄干からガリフナの人々がボートで上陸するのを待つ。徐々に観光客が増えてきたが、それでも橋の欄干にみんなが並んで、ボートが来るのを見ることができる程度の数だ。 河口のずっと先に現れたボートは、一度視界から消えてから、スタン・クリーク川に入ってきた。最初のボートは10人も乗れない程度だったが、次に来た物は、もっと大きく、合計3隻のボートが、黄白黒の三色のガリフナの旗を掲げながら、川の両岸を何度か行ったり来たりしている。 3隻のボートが北側の川岸に接岸し、ガリフナの人達が上陸した場所で、人だかりがしているようなので、見に行ってみる。W氏もこのイベントを見に来ていてばったり出会う。上陸した場所では、数十人のガリフナの人を中心に、ガリフナの踊りが始まっていた。ほぼ円形に内側を向いて、前後左右にスイングしながら、回転してゆく。見物のために集まった人は、その外側を取り巻いているのだが、踊っている側と、それを見る側に、明確な区別は無く、見ている人の中にも、つられて踊っている人もいる。踊りのスタイルは、ラテンアメリカを想像させる物ではなく、あきらかにアフリカの臭いがするものだ。ガリフナの人々のルーツが、アフリカにあるのは踊りを見ても明白なようだ。 中心にいる白装束の長身の男性は、地方開発省の官僚のトップで、C.E.O.(チーフ・エグゼクティブ・オフィサー)であり、ガリフナ民族の酋長のような存在でもあるらしい。そのような人が、省庁の中枢にいること自体、この国に於けるガリフナ民族の存在は確固たる物のようだ。ガリフナ移民の日という祭日があること自体、言うまでもないことだろうか。 |
|
踊りの輪は、そのまま、移動して、川から離れ、北に向かう。踊りの輪の後を着いてゆくと、大きな教会に入って行った。そこは、セレモニーが開催される会場のようで、すでに多くの人が座って待っていて、踊りの輪はその人々の中を通り抜け、祭壇の前に進み出てまだ踊っている。踊りが一段落したら、セレモニーが始まった。壇上での演説は、みなガリフナ語で、全く理解できない。途中、歌があったりして、民族的な盛り上がりを感じる。 演説などが延々と続いているので、そろそろ切り上げて、朝食を食べるために、M氏とW氏と外に出て、昨晩も行った、リッチーズ・ダイネッテに行って、目的のフドゥを頼むが、昼にならないと無いという。もうお腹が減っていてあまり考えられず、昨晩覗いた、キング・バーガーに行ってみることにし、ふらふらと言葉少なに歩き始める。黄白黒のガリフナの旗がどの家の窓にも飾られていて、ダングリガの町の人の、一年に一度のお祭り騒ぎにかける意気込みを感じる。 |
|
橋のたもと付近にあるキング・バーガーに入ると、旅行者が多く、テーブルがほとんど埋まっていた。唯一空いていたテーブルに3人で腰掛けて、私は、ステーキ・サンドイッチと、グレープ・ジュースを注文する。 斜め隣のテーブルを見ると、白人の3人組女性がいて、中に見かけたことのある女性がいた。勤務先のベリーズ・シティーにあるオフィスに来ているカナダ人ボランティアで、ある人の送別会で話をしたことがある。彼女たちが持っているバッグにカナダのマークが入っているので、同じカナダから来たボランティア仲間だろう。ちょうど、送別会のときの写真がカムコーダーに入っていたので、挨拶がてらにそれを見せると、その写真が欲しいので、電子メールで送ってくれとのことで、電子メールアドレスを教えてもらった。彼女たちは、カナダ政府のボランティアだが、長期の物ではなく、半年程度の短い物で、8月に来て、2月にはカナダに戻るという。 |
|
朝食を食べて、やっとお腹が落ち着いたので、メイン・ストリートを歩いて、セントラル・ホテルに戻ってくる。 |
|
帰りのバスのチケットをゲットするべく、3人で、バス・ターミナルに向かう。途中、土産店を物色しながらとぼとぼと歩いて、バス・バーミナルに着き、14時半発のレギュラー・バスのチケットを購入した。もちろん指定席である。バスは、ベリーズ・シティー行きのようだが、途中のベルモパンまでで、$6である。 |
|
一歩先に、自転車でホテルに戻ると、ホテルの前のPAから、大きな音で音楽が流れていて、地元の人々が思い思いに踊っている。多いときで、10人ぐらいが踊っているが、地元の人が通りかかって、知っている人がいると一緒に踊ってと言う感じなので、まとまりは皆無だ。道の真ん中で踊っているため、車の往来は自然と止まってしまうわけだが、車のドライバーは怒るでもなく、踊りが小規模になってすり抜けられるようになるまで辛抱強く待っている。道路は、今日に限っては自動車が通るための物ではなく、音楽に合わせて踊る場であるのだ。文句あっか。と言う感じで、警察の車が来ても、おかまいなしなのだ。 予定では、11時にパレードが始まるとのことなので、ホテルの3階のベランダで、M氏W氏と3人でパレードを待ちながら、階下の踊りを眺める。例によって、地元のおばちゃん達が踊り始めては、車の往来が中断され、また、身動きできない車に茶々を入れるように、踊っている。 |
|
まだまだ、パレードが来そうにないので、一人で自転車を走らせ、町中を見て回ることにした。まず、メイン・ストリートを北上して、海に近いところにあるダングリガの町づくりに貢献した人の碑の所まで行って、もう一本海側の道を南下する。 先ほど中でイベントを行っていた教会の前を通り、ひたすら南方面に行くと、スタン・クリーク川の手前にマーケットがあった。今は市は立っていないが、それなりに立派なマーケットに感心しつつ、川の向こう側に渡るために、メイン・ストリートまで戻り、アーチ状になった橋を渡り、川の反対側に入る。そして、また海沿いに近い道を行くと、だんだん人だかりがしてきた。公式な式典をしている公園があり、その回りにはパレードが始まるのを待っている団体や車がひしめいている。式典では、お偉いさんが話をしていて、まだまだパレードは始まりそうにない。 入り口付近に、今回私のためにホテルを予約してくれた、スージーと、その子供達がいたので、挨拶する。彼女の話だと、もう少しで、パレードは始まるとのことだが、どうもそんな雰囲気ではない。別れ際にスージーの一家の写真を撮り、私の写真も撮ってもらう。 |
|
ボランティア仲間のO氏が、来ているかも知れないと思い、バス・ターミナルをちらっと覗くが、それらしい人は見あたらない。彼女は、朝バスで、ダングリガに来て、日帰りでイベントを見に来るというが、もう来ているのだろうか。 セントラル・ホテルに戻って、ひたすらパレードの来るのを3階で待っている2人に、式典の様子を伝え、まだまだ当分来そうにないので、今の内に昼食を食べに行くこうと提案する。 |
|
またまた、リッチーズ・ダイネッテに来た。三度目の正直で、今度は、フドゥがあったので、M氏と注文する。W氏はコンクスープを頼んでいた。奥の席の家族も、フドゥを食べている。店の中のテレビでは、去年の物だろうか、パレードを撮影したビデオを流している。 出てきたフドゥは、ちょうど一年ほど前、職場で食べた家庭料理のフドゥとは少々違い、あっさりしすぎた感じが否めない。それでも、やっと食べることの出来たフドゥに感動していると、外がいきなり賑やかになってきた。急いで会計を済ませて、外に出ると、パレードの先頭がちょうど来たところだ。ミス・ガリフナが乗った車が通り過ぎ、いくつかのバトンや、踊りのグループが、立ち止まっては、一通りの踊りを見せて、また進むと言うことを繰り返している。 そんなに沢山のグループがあるわけではないが、どのグループも、踊りや、バトンの練習を、ちゃんとしていて、ただ学校の学生を集めて歩いているというだけのグループはない。バトンのグループは、後ろに男性で構成された、バンドを従えて、バトン・トワリングをやっている。最初は、こんな物かと思いきや、途中からリズムが変わり、突然腰を振りだしたのには度肝を抜かれた。プンタの腰の使い方か、バトン・トワリングでこの腰の振り方とは、恐れ入った。バトン・トワリングの技術の問題以前に、地元の文化に合わせたアレンジをしていて、とても好感の持てるパレードである。パレードの最後には、トラックの後ろに乗せたPAでカリブのリズムを流して、それに合わせて踊る群衆がそのトラックを追いかけるように過ぎ去り、パレードは去っていった。 パレードを見終わり、3人はベルモパンに帰るべく、バス・ターミナルに向かう。途中、宿泊したセントラル・ホテルの前で、調子の良い声を張り上げて、海藻ジュースを売っているお兄さんと記念撮影をする。 |
|
| | パレードの通過を待つDangrigaの人々 ガリフナ語で書かれた看板 |
|
|
何度も通ったメイン・ストリートを戻るのは面白くないので、私一人別れて、もう一本山側の道を自転車で行くことにした。しかし、メイン・ストリートを通ったパレードが、折り返して、一本山側の道を戻ってきていて、パレードに飲み込まれるような形で足止めを食らった。 バスが出るまで時間はあるので、再びガリフナ風バトン・トワリングを堪能してから、パレードを追い抜くような形で、ハミングバード・ハイウェイに出た。ここから東に向かい、昨日、ダングリガに到着した時と同じ方角からバス・ターミナルに到着した。私の後を追うように、パレードは進行してきているので、いずれバス・ターミナルの前にも到達するだろう。ハミングバード・ハイウェイの終点である、ランナバウトの周りにも、パレードを待つ人々が、バス・ターミナルからも見ることができる。 このダングリガのバス・ターミナルはとても立派で、建物の中にバスが入るようになっていて、バスの乗降口が、待合室の周囲の乗降口に合わさるように、バスが停車する。規模はそれほど大きくないが、こんなにしっかり作られたバス・ターミナルは、ベリーズでも他にはないのではないだろうか。バスが到着したので、自転車をトランクに預けて、乗り込む。 14時半を過ぎて、出発したバスは、パレードが来ているのを避けるためか、メイン・ストリートを北上し、中途半端なところから、進路を西に変え、住宅地の路地に入る。そして、先ほど私が走ってきた、メイン・ストリートより西側の道に出て、それを南下して、ハミングバード・ハイウェイに出た。ハイウェイに出たところで、バスを待っていた人が、遠くから駆けつけて来るのが見え、バスはその人達が乗り込むのを待って出発。どおやら、通常バス・ターミナルを出たバスは、すぐにハミングバード・ハイウェイに入るようで、そのつもりでハイウェイ沿いでバスを待っていた人が多かったようだ。 |
|
| 山岳コースではよく揺れる Southern Transportバス |
| |
|
ダングリガの町を出たバスは、ひたすら昨日私が走ってきた、ハミングバード・ハイウェイを戻るかたちで、首都ベルモパンをめざす。途中、山岳コースに入ると、バスは左右に大きく揺れ始めるので、うとうと寝ていると、座席から滑り落ちそうになる。 往路ももちろんバスできたM氏の話だと、乗っていたバスは混んでいた上に運転が荒く、かなりのスピードが出ていて、ひやっとする瞬間が何度か有ったそうだ。さすがに3度目ほどで、すごく危険な状態になり、乗客から運転手に向かってオレンジなどが投げられ、騒然となったとのこと。地元の人が怒るほどのバスの運転とは、聞くだけで恐ろしいが、オレンジが飛び交うとは、ベリーズらしい抗議風景とも言える。 私の乗った帰路のバスは、オレンジが飛び交うことはなく、無事ベルモパンに到着。自転車を組み立て、M氏にバスの前で写真を撮ってもらい、徒歩で帰宅する2人と別れて、バス・ターミナルを後にする。 |
|
| | 今回初めて使ったツーリング用バッグは良く機能してくれた |
|
|
自宅に到着して、タイヤのキズの状態を確認すると、ほとんど状況は変わっていないように見える。一時はサイクリングを中断するかと、観念したトラブルだったが、修理の後は、最後まで問題は発生しなかった。 それと、今回初めてツーリングに使ってみた、ツーリング用のフロント・パニアバッグも良く機能してくれたようだ。バッグの口は、チャックを使わず、バックルで止める型式なので、開閉にまだ慣れない部分はあるが、バッグの周囲についたメッシュ状のポケットには、ボトルが差し込めるし、なんと言っても容量が今まで使っていた物より倍はありそうだ。 |