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吾妻線で輪行し、久しぶりの草津温泉に登り、一泊して温泉を堪能し、自走で帰宅する予定を立て、自宅を出発。 |
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高崎駅に到着し、例によって、自転車を持ち上げてエスカレーターで連絡橋に上がり、改札前まで自転車を押して行って、パックを開始する。 愛車NWTのハンドルをドロップ化したが、その後の輪行は始めてなので、ハンドルの落ち着かせ場所を考えながら、付属のベルトで固定する。 駅に到着してから予定の長野原草津口駅行きの吾妻線まで10分程度有るので、余裕だ。 |
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高崎駅を出てから、ずっと天候が良かったのに、長野原草津口駅手前になって、急激に空が暗くなってきた。 駅前で、草津へ向かうバスを横目に自転車を組み立て、完了後に、宿泊を考えているYHに電話をすると、今日は休館日だという。今日は予約がないので締めてしまっているのだろうか。草津は紅葉シーズンのまっただ中なので、満員で泊まれないかと思ったら、その真逆の可能性が高い。 他の宿を紹介してもらい、まあ行けば何とかなるだろうと、駅を出て西に向かうと、ポツリポツリと雨が降ってきた。草津方向を見ると、黒い雲が立ちこめている。 少々考えた後、大幅に予定変更して、自走で帰宅することにする。吾妻線沿いに走り、雨がきつくなってきたら、最寄りの駅から輪行して帰宅しようという魂胆だ。 長野原草津口駅から国道145号を東に向かって走り始めると、すぐに雨は完全に上がり、ほんの少しだけ明るくなってきた。1kmほどで、国道406号方面への入口が有ったので、入ってゆく。このコースは、須賀尾峠を越えて榛名山の西側を回って、高崎に戻るコースで、明日の帰り道に予定していたコースである。しかし、せっかくの紅葉狩りに来たのだから、近年中にダムに埋もれてしまうだろう、吾妻渓谷の紅葉を堪能しない手はないと言う考えもあり、どうしようか迷ったあげく、道の様子を見に数百メートル入っていったが、登り口からいきなりの急勾配で、諦めがつき、すぐに国道145号に戻ってきた。 |
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数年前に、長野原草津口駅の東側から、吾妻渓谷のすぐ手前の川原湯温泉駅まで走って輪行したことがあったので、道の様子はよくわかっている。自動車の交通量の割に、道が狭く、走りづらいことこの上ない道だ。この辺の道はダムに埋もれる予定で、道路はずっと上の方に付け替えのための道路が造られているために、現行の区間は拡幅されることなく、そのままのためだ。JR吾妻線も同様で、5kmほど走って現れた、川原湯温泉駅もダムに沈むために古いままの佇まいを残している。 川原湯温泉駅を過ぎると、目的の吾妻渓谷が始まる。この付近は、前回の訪問時に少々見学しているが、今回も自転車を止めて、橋を渡ってじっくりと見学する。もうちょっと下流に行くと、すでに八ツ場ダムの工事が始まっているのか、河の近くに重機が入っている区間があった。そのすぐ先に、車が止まっているところがあり、それなりの数の観光客が歩いていて、案内の看板も豊富にあり、この辺が、吾妻渓谷の中心部だと言うことが伺える。 見たとおり、渓谷が狭くなっているから、ダムが作成出来る訳なのだが、この景観が無くなってしまうのは惜しいと感じる。このダム建設に関しては、もう何十年もの計画なので、そんな単純な問題では無いというのは解っているが、たまたま通りかかった観光客として月並みな感想を漏らしてしまうのも正直な感想だ。 吾妻渓谷は、昔から紅葉の名所と言うことで聞き及んでいるが、今年の紅葉の色は今ひとつなのか、はたまた、まだピークではないのか、それほど見事な紅葉という印象ではなかった。しかし、昔から鉄道や車で通りかかっていて、しっかりと見学したことがなかったので、来てみて良かったと思いながら、吾妻渓谷を後にして、吾妻川沿いに国道を下る。 |
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吾妻渓谷から8kmほど下ったところの、矢倉駅を過ぎたところの国道脇に、古い杉の木がある神社が有る。矢倉の鳥頭神社の神代杉というらしい。古い杉の木は、空洞になっていて、ほとんど朽ち果てていて、外側しか残っていない。そして、その内側には別な杉が生えていて、別名親子杉とも言われるらしい。外側の杉は、樹齢1400年で、内側のものは樹齢200年ほどだという。 矢倉駅の次の郷原駅の手前で、国道145号から別れて、南に向かい、吾妻川を渡って、県道58号に出て、今まで下ってきたのとほぼ反対側にハンドルを向け、支流の温川沿いに登ってゆくことになる。この県道は、榛名山の西側を反時計回りにぐるっと迂回するルートで、ここからは川沿いに登りになる。 帰路として考えていた須賀尾峠のある国道406号との合流点の大戸に到着すると、すぐ手前に滝があったので少々見学。岩肌を流れ落ちる水が、温川に流れ込み、色づいた紅葉の葉が良い感じで浮かんでいる。交差点を過ぎて、国道406号線に入ると、すぐ右側に、大戸の関所跡が有る。こんな感じだったのだろうというイメージで作られて物のようだ。 |
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大戸の関所跡を過ぎて、1kmほどで、国定忠治の慰霊碑に到着。国定忠治の処刑場所のようで、慰霊碑や、お地蔵さんがある。なにやら、大戸の関所の関所破りをして信州に行った罪で、だいぶ後になってから捕まって処刑されたようだ。関所破りの犯罪を犯したその近くで処刑するなどと言うのは、まさしくつじつま合わせの臭いがプンプンで、このときの国定忠治の死に様も、伝説的に言い伝えられているようだ。 |
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ここからはもう日没がかなり近づいてきて、なんとかこのさきのピークを早く越えたいと、先を急ぐ。国定忠治の慰霊碑から4kmほどだらだらと登ったところで、今は営業していないと思われるドライブインが見え「萩生峠」と書いてある。前方に登りは見えないので、はやりピークのようだ。地図にはないが、この辺の地名の通り「萩生峠」が峠の名前らしい。 なんとか日のある内に下りに入り、せっせと下っていると、いきなり「高崎市」の看板が目に入る。ここから先は、ちょっと前まで倉渕村だったが、平成の大合併で高崎市に吸収されたのだ。なんとこんなところから高崎市だとなると、高崎市に戻ってきたとは言っても、自宅までまだ30kmほどあり、まだ半分程度走っただけだから、まだまだの距離だ。 もう日没で暗い。ダイナモを倒して、スピードを落として下ってゆくと、下りの途中に忽然と建物が現れた。倉渕温泉だ。名前は以前より耳にしていたが、ここにあるのかと思い、ブレーキをかけて、ちょっとだけ立ち止まる。もう日没だから急いで帰っても暗いのは同じ。一風呂浴びてゆくのも良いかと考えたが、余りにも突然現れたので、考える暇もなく、帰宅を急ぐことにした。 |
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倉渕温泉を過ぎて、ひたすら下ること、3kmほどで、県道54号と合流。ここから烏川沿いに下ることになるわけだ。この烏川を上流方向である西へ向かうと二度上峠を越えて、北軽井沢にでるのだが、高崎からの間はどちらの方向へも一度走ったことがあるので、何となく見覚えがある。真っ暗な道の中だが、ホットする。 同じ道を走っても面白くないので、国道406号から別れて、烏側を渡り、国道と平行に走っている反対側の県道等を走ってみることにする。しかし、夜道のため、はっきりと道がわからず、結局国道に戻ってきて、烏川沿いにひたすら下ることになる。 室田の集落を過ぎたところで、国道406号は、烏川の反対側にルートをとることになる。ひたすら下ると、だんだん街明かりも多くなってきて、信越線の群馬八幡駅近くにさしかかったところで、以前より行ってみたかったラーメン店があったことをお思い出した。一度トライして、定休日で閉まっていて、それ以来行っていない、だるま大使というお店だ。店の名前は近くの、ダルマで有名な達磨寺が由来なのは間違いない。国道から左に折れるとすぐにそのだるま大使があり、営業していたので、入店を果たす。一番基本的なだるまラーメンともつライスを頼んで、麺を食べてから、もう一種類の博多麺を替え玉でオーダーして満腹。 |
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だるま大使からは再び国道406号を高崎市中心部に向かって走る。国道18号線が烏川を渡る君が代橋の手前の所に合流して、国道406号は終点だ。合流した国道18号線も、君が代橋を渡り、国道17号線にぶつかったところで、終わる。ここまで来ると、もう自宅が近い。近所のスーパー・マーケットで買い物をして、帰宅。 準備をしていた宿泊のための荷物をサドルバッグから取り出し、予定外の日帰りサイクリングになってしまったことを、ちょこっと反省しながら、まあ吾妻渓谷を見ることが出来たから良いかと、言い訳がましいことを考えながら、ビールを飲む。 |